2025年にはおよそ750万人が認知症になる、という予想もある高齢化社会の現代ニッポン。ここでは認知症の実父と過ごした436日をつづったノンフィクション作家・髙橋秀実の新刊『おやじはニーチェ』より一部抜粋してお届けする(全2回の1回目/後編を読む)。※民生委員、近所の方、ケアマネジャーは仮名です。
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「なんでだよ! なんなんだよ!」
認知症の症状の中で最も厄介なのは、やはり「怒りっぽくなる」「ささいなことで怒る」(鳥羽研二著『名医の図解 認知症の安心生活読本』主婦と生活社 2009年)ということだろう。実際、父もよく怒る。しかも突然、怒る。
「なんだよ!」
「なんでだよ!」
「なんなんだよ!」
「なん」の活用形のように怒号をあげるのである。例えば、銀行のキャッシュカードを申し込もうとした時にも父は怒った。母から預かった父のキャッシュカードは暗証番号がわからず、本人に訊いても「なんの番号?」という具合に埒が明かないので再発行してもらうことにした。
銀行から「ご本人を連れてきてください」と言われたので、父を同行して出かけようとしたのだが、「銀行」と聞いた途端に「なんだよ!」とごねた。「カードが必要。カードがないとお金をおろせないでしょ」と説明すると、「なんでだよ! そんなわけねえだろ!」と鼻息が荒くなり、確かに通帳と印鑑があればおろせるなと私が思ってしまったせいか、それにつけいるように「冗談じゃない!」と怒り出した。
「お母さんから頼まれたんだ」と説得しようとすると、「なんだよ! なんなんだよ!」と激昂してしまい、結局その日は銀行に行くのをあきらめた。私の説明が足らず、ごまかしを見抜かれている可能性もあるのだが、こういう場合、反省は禁物である。反省に乗じてますます怒るので反撃に出たほうがよい。
父は怒気に駆られているので気迫を持って立ち向かう。たとえ謝るにしても弱気ではなく強気で謝るのである。
この場合、最も大切なことは…
そう、大切なのは「気」なのだ。
ちなみに「気」とは「空中に立ち上るもの」(『角川 大字源』角川書店 1992年 以下同)。私は父を見る時も父から立ち上る「気」を見るように心がけた。「気持ち」というくらいで「気の持ちよう」を観察するのである。「気」は生きていることを確認する「いき。呼吸」も意味するし、「天気」つまり「むらむらと立ち上る気象」に影響される。
父は理屈より「気(おもむき。ようす)」に敏感で、常に気配を気にしている。気を回し、気乗りすれば、それで気が済むようにも見える。言葉についても意味より語気に反応するようで、考えてみれば記憶というのも「気がつく」「気にとめる」という働きではないだろうか。