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 父のような大暴れは認知症の症状としては「問題行動」(あるいは「行動障害」)と呼ばれ、虎の門病院、認知症疾患センター長の井桁之総ふささんなどはこう解釈していた。

 認知症患者は原始脳だけで生活している

(井桁之総著『認知症 ありのままを認め、そのこころを知る』論創社 2020年 以下同) 

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 何やら原始人のようだが、「原始脳」とは大脳辺縁系のことらしい。

 人間の大脳は表面に広がる大脳新皮質と、中心部の大脳辺縁系から成っている。大脳新皮質が「思考、判断、意思や感情」「本能や自律神経、感性・記憶」などの機能を担っており、そのおかげで人間は「環境への適応性や社会性」を得るそうだが、認知症患者はそれが「うまく働かず」、その結果、中心部の大脳辺縁系で生活することになる。大脳辺縁系は「生命維持や本能行動、情動行動や感性」にかかわる脳。認知症患者はそれで生活しているがゆえに「理屈ではなく感情がむき出しになってしまう」そうなのである。

 確かに父も「むき出し」の印象はある。しかし昔からむき出しで、認知症になったからむき出しになったわけではない。むしろ認知症になって理屈がむき出しになっているように思えるのだ。そもそも「生命維持や本能行動、情動行動や感性」をつかさどる大脳辺縁系でも「環境への適応性や社会性」は得られるのではないだろうか。環境や社会に適応しなければ生命は維持できないのだから。さらに私が疑問を感じたのは認知症患者の次のような「特徴」だ。

 自分では正しいと思って言ったり、行動したりしたことが、「それは違う」「こうしなきゃだめ」と言われても理解できず、「自分は冷たくされた」「いじめられた」という感情しか残らないのです。

©AFLO

認知症で苦しむ人々にするべきことは…?

 これは人の一般的な特徴ではないだろうか。人は否定されたり批判されたりすると、咄嗟に腹を立てる。言い分を理解しようとせずに「うるさい!」と怒鳴ったりする。表向き平然を装っていても腹が立つと相手の言い分が理解できず、感情だけが残るのだ。それに「自分では正しいと思って」とあるが、物事を「正しい」と判断していること自体、大脳新皮質が働いている証拠だろう。正しいと思ってから言ったり行動したりするのは、認知症というよりむしろ理詰めの人がすることではないだろうか。