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 何かに出くわした時に、それに気がついて、気にとめる。記憶理論のように情報を入力して保持するのではなく、気を射出して対象を固定することを「記憶する」と呼ぶのではないだろうか。実際、気がつかず、気にもとめないことは記憶に残らないわけで、もしかすると記憶障害も気のかけちがいかもしれない。ひいては認知症も気のせいと解釈したいくらいだったのだが、町内会主催の「ランチパーティー」ではそういうわけにいかなかった。

仁王立ちしている父が「どこ行ってたんだ! クソババア!」

 毎月第三水曜日に地元の公民館で高齢者たちの食事会が開かれている。町内会の方々が昼食をつくり、高齢者たちにふるまって親睦を深める。民生委員の伊藤さんから「是非是非是非」と誘われ、父を連れて出かけることにした。席についた高齢者たちは初めてお目にかかる方ばかりで、私は「どうぞよろしくお願いします」と挨拶して回り、父を着席させた。すると私の携帯電話が鳴ったのでいったん外に出て、電話で仕事の打ち合わせをした。わずか数分のことだと思うのだが、会場に戻ると、父が仁王立ちしていた。

「どこ行ってたんだ! このクソババア!」

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 大声で叫ぶ父。突如として母の不在に気がついたのだろうか。

――なんなの?

 私がなだめようとすると、その腕を振り切る。

「どこに行ったかって聞いているんだよ」

――誰が?

「なんだよ! なんなんだよ! このクソババア!」

――ババアじゃないだろ!

「ババアはババアだ」

――お母さんはもう死んだんだよ。

「ふ、ふざけるんじゃねえ!」

 町内会の方々が啞然とする中、私たち親子は面罵し合った。せっかくの楽しい食事会に水を差してしまい、私はみなさんに「申し訳ありません」とお詫びした。近所の相田さんには「あんたのお父さんは本当に大変だよね」と慰められ、以前から父は近所でも怒鳴り散らしていたことを知らされた。私と散歩している時などは穏やかなのだが、銀行や町内会など複数の人がかかわると父は途端に落ち着きを失うのだ。

そんな父がうけられる介護サービスはあるのか?

「受けられる介護サービスって、あんまりないんですよね」