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話せる言葉は「お母さん」と「わかんない」の2語のみ…脳梗塞で左脳の1/4が壊れた妻と夫の“会話記録”

話せる言葉は「お母さん」と「わかんない」の2語のみ…脳梗塞で左脳の1/4が壊れた妻と夫の“会話記録”

『失くした「言葉」を取り戻すまで 脳梗塞で左脳の1/4が壊れた私』より#2

2023/02/21

source : ライフスタイル出版

genre : ライフ, ヘルス, 医療, 読書, 社会

note

 2009年11月、突然の激しい頭痛に襲われたコラムニストの清水ちなみさん。「くも膜下出血」と診断され、開頭手術を行ったものの脳梗塞を発症。失語症と利き手である右手に麻痺が残りました。

 ここでは、清水さん自らがパソコンのキーボードを一文字一文字打って闘病について綴った『失くした「言葉」を取り戻すまで 脳梗塞で左脳の1/4が壊れた私』より一部を抜粋して、「お母さん」と「わかんない」の2語しか話せなかった手術直後の様子を紹介します。(全2回の2回目/1回目に続く

清水ちなみさん

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「これは夢ではない!」手術直後の記憶と記録

 目が覚めると旦那がいました。

 手術当日から4日後の朝、集中治療室にお見舞いにきてくれた旦那は、私と目が合った時のことを日記に書き残しています。

《12月8日(火) 脳を休めるために使っていた鎮静剤を止めたので、見舞いに行くとすでに目を覚ましていた。左脳の4分の1が死んでいて、言語中枢その他に障害が出ることは覚悟していた。だが、彼女を見てすぐにわかった。私のことを認識している! 私はうれしくて泣いた。私の涙を見て、彼女も泣いた。》

 おおっ、これは現実だ。

 私は呼吸状態を管理するために気管挿管、つまり人工呼吸器のパイプを突っ込まれていてしゃべれないし、集中治療室の中にいるのに、何やらビニールのようなもので囲まれていました。これは夢ではない! でも、なぜか旦那の目は4つになっていました。単に私の目のピントが合わなかっただけですが。

 私が3日間寝ている間、旦那は大忙しでした。

 当時、子どもはまだ中学1年生と小学2年生だったので、旦那は仕事の合間に炊事も洗濯も掃除もすべてひとりでやり、子どもを学校へ行かせて、私のお見舞いにも毎日行かなくてはいけません。さぞかし大変だったことでしょう。

 中1のコウスケは放課後に友達と遊ぶのを断って、小2の妹の学校までお迎えに行ってくれたそうです。子どもたちも協力してくれていたんですね。

 チヒロにとって、兄のお迎えの記憶は強く残っているようで、先日、こんなことを語ってくれました。

「お兄ちゃんが自転車で迎えにきてくれたんだけど、家に帰る時は自分だけ自転車に乗って、『おまえは走れ! ランドセルは持ってやるから』って言われて私だけ走らされたんだよ。普通は、自転車を引いて一緒に歩いていくじゃん! でもそのあと、『よく頑張ったな!』ってコンビニでジュースやお菓子を買ってもらった。おもしろかったなあ」

 当時の記録(「治療─検査─病状説明紙」)を見ると、私の症状は「くも膜下出血、脳動脈瘤破裂、コイル塞栓術後脳血管攣縮」とあります。脳内の太い血管が攣縮して脳梗塞を起こしたことで、左脳の4分の1が損傷。言語と右手の機能に大きな障害が出てしまいました。