わからないことばかりの中、覚えていたこと
私がいた集中治療室(ICU)は小学校のクラス2つ分くらいの大きさで、多くのベッドが並んでいました。天井はやや高めですが、ベッドのひとつひとつに、人工呼吸器やら、点滴やら、血圧や酸素の量や脈拍を測定する機械やら、尿を導引する器具やらがたくさん置かれていて、どの機械も24時間動いています。
ICUで寝ている患者たちは、当たり前ですが、私も含めて元気がない(笑)。みんなボーッとしています。面会の時だけはカーテンを閉めますが、ふだんは開けっぱなし。プライバシーどころではありません。
朝の歯磨きが終わると(右手がうまく動かせないので左手でやりました)、もう私にはすることがありません。歯磨きだけが一日の楽しみです。声は出せますが、お腹も減らないし、トイレにも行きません。ベッドの上には点滴の袋が吊り下げられていて、栄養や水分はそこから摂っているのでしょう。視界がぶれて物は二重に見えます。結局、身体を休めるためにボーッとしてるしかないんですね。ひたすら寝て過ごしました。
ある時、ふと黄色と黒のヘアブラシが目に留まりました。
「これには見覚えがある。私のだ!」
左脳を大きく損傷した私は、かなりのことがわからなくなっていました。自分が自分であることはわかる。でも自分の名前も、数字も、時計も、言葉も、常識もわからない。少し前まではふたりの子どもを育てながら、大量の原稿を書いていた私が、ほとんど赤ちゃんのような状態になっていました。
でも、面会にきてくれた旦那の顔は覚えていたし(目は4つに見えましたが)、ヘアブラシが自分のものであることもわかりました。私の中には、過去の記憶が残されているということです。自分を見つけたようで、ちょっと感動しました。