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現在も続くフランスのシャルリー支援だが…

 では、そうした人々が糾弾するように、フランス政府はどこまでシャルリーを支援しているのか。

2015年1月11日に行われたデモの様子(筆者撮影)

 たしかにフランス政府は支援をしている。しかしそれは、シャルリー・エブドだけを対象にしたものではない。文字媒体向けの文化省プレス補助金で、力による圧殺とは別の意味で消えかかっている言論の自由を支えようとするものだといえる。

 2019年には409の新聞雑誌が対象となり、シャルリー・エブドへの支給額は45万5942ユーロ(6400万円)であった。ちなみに、ル・モンドは 59万7649ユーロ(8400万円)である。

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 1月7日、マクロン大統領は、犠牲者の名前と事件当時に新聞に出た「私もシャルリー」を表明するドラクロワの『民衆を導く自由の女神』のパロディとともに、「我々は決して忘れない」とツイートした。

マクロン大統領も「我々は決して忘れない」と投稿

 現場となった建物前では追悼式が行われた。ダルマナン内務大臣、イダルゴ・パリ市長、アブデュル=マラック文化大臣、ブロン=ピヴェ国民議会議長が参列した。犠牲者の家族の希望によりスピーチはなしで、犠牲者の名前が読み上げられたあと花輪が捧げられ、1 分間の黙祷が行われた。国歌ラ・マルセイエーズが寒空に響きわたった。   

襲撃後のシャルリーに何があったのか?

 他方、この日にJDD紙が発表した世論調査(調査会社Ifop)では、2016年には71%が「私はシャルリー」と同調的に感じていたが、今ではこの数字が58%に落ちたという。この傾向はとくに若者において顕著で、18-24歳では44%である。

 かんたんに襲撃事件以降のシャルリー・エブドの足跡、そして彼らの現在地を振り返ってみよう。

襲撃事件直後の2015年1月11日に行われたデモの様子(筆者撮影)

 襲撃事件の翌週にだされた、ムハンマドが「私はシャルリー」というパネルをもった絵を表紙にした号はフランスの新記録となる500万部発行を記録。1万人を切っていた定期購読者数も20万人を超えた。

 それによって倒産寸前だった会社は一気に立ち直ったのだが、現在も編集長を務めるRissが新しく発行会社の社長、3分の2所有の大株主、出版局長、編集長を兼ねたこともあり、使途を危惧する執筆者やスタッフが公開書面を出す騒ぎになった。

 4月に利益の最低70%は再投資するかわりに税制上の優遇措置を受けられる「プレス情報連帯企業」という会社形態がつくる法律ができ、第1号となった。

 その後も、新しい取締役をいれる、テロ事件後の大幅な利益はすべて内部留保にすると定款に加えて配当することができないようにするなどの改革が行われ、とりあえず経営をめぐる騒動は収まった。

 現在、店売り2万部、定期購読3万3000部。読者は減少傾向で、この内部留保が助けになっているという。