2015年1月7日、フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」が自動小銃で武装したイスラム過激派に襲撃された。ちょうど編集会議をしていた編集長以下フランスを代表する風刺漫画家など12人が死亡した。

事件当時、騒然とする現場(2015年1月7日)©AFP=時事

 2006年に「イスラム教とテロを直結させるような描写をした」として編集幹部がフランスのイスラム団体から提訴され、2011年にはムハンマドの風刺画を掲載した直後に火炎瓶攻撃を受けて社屋が全焼していたシャルリー。それに続いたこの襲撃事件の衝撃は大きく、「私はシャルリー」というスローガンのもとに大きな運動になった。

 4日後の11日の日曜日に行われたデモには全国で370万人が参加。パリ市内にも150万人が集まり、文字通り街にあふれた。各国首脳の列もあって、当時の映像を見てみるとプーチン大統領は来なかったが、ロシアのラブロフ外相がおり、ゼレンスキー氏の前のウクライナ大統領ポロシェンコ氏の姿もあった。

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 なお、よく誤解されるのでいっておきたいが、みんなシャルリー・エブドの作品自体に賛同したわけではない。世論調査でも半数はあの絵は出すべきではなかったとしている。力で言論を圧殺しようとしたことが問題だった。

2015年1月22日の現場。大量の献花が(筆者撮影)

あれから8年、再びシャルリーが…

 あれから8年、「シャルリー・エブド」は、1月4日発売の号を特別に1月7日付としてイランの宗教指導者を容赦なく、そしてえげつなく揶揄した絵で表紙を飾った。モットーの「おバカで意地悪」の本領発揮である。もっともイスラム過激派がターゲットではなく、「イラン人と共に」と題した、昨年9月にヒジャブの着け方が悪いなどとして道徳警察に拘束され死亡したマフサ・アミニさんの死から始まった抗議運動への支持である。

1月4日の「シャルリー・エブド」(筆者撮影)

 同紙は、昨年12 月に「時代錯誤の宗教指導者を嘲笑し、彼を歴史のゴミ箱に送り返すことによって、自由のために戦っているイラン人の闘争を支援しなければならない」として、イランの最高指導者ハーメネイ師の風刺画を募集した。イランの作家や外国に住むイラン人をはじめとする300 件以上の応募があった(脅迫は数千もあったとか)。国際コンクールと銘打っているが、賞は出ず「すべての参加者が地獄での居場所を獲得した」のだそうだ。

 なお、同紙の社説によれば、風刺画のコンクールはイランの方が先輩で、イランの最高指導者だったルホラ・ホメイニ師から宗教上の死刑を宣告された『悪魔の詩』の作者で、イギリス系インド人のサルマン・ラシュディを題材に1993年におこなった。そのときの優勝者は金貨160枚を貰えたという。また、シャルリー事件のすぐ後の2015年2月にも、モハメット風刺画に対抗してホロコーストを否定する風刺画コンクールが賞金つきで行われている。