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『元気が出るテレビ』オーディションへ

――第2志望みたいな感じで、有田さんに誘いがきたわけですか。

有田 そうなんですよ(笑)。そもそも僕は、テレビっ子じゃなかったから、お笑いに関しても詳しくなかった。高校生のときに、さまぁ~ず(当時はバカルディ)さんにハマって、コントの真似事みたいなことをしたくらい。だから、今でもあこがれはさまぁ~ずさん。

 相方に誘われるがままに、高校在学中に、渡辺プロダクション(ナベプロ)のネタ見せに行ったら、当時は学生服を着て参加する人なんていなかったから、珍しかったみたいで「来週からまたおいで」って声をかけられまして。

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 その後、卒業したぐらいのときだったかな、物は試しだと思って、(ビート)たけしさんがお笑い芸人を育てるみたいな企画を行うということで、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のオーディションへ行ったんです。そしたら、「若い」というのが引きが強かったみたいで、僕らとカラテカだったと思うんですけど、その2組が残ったんですよ。1期がグレチキ(グレートチキンパワーズ)さんだったので、僕らは2期になる。

前途洋々かと思いきや…

©文藝春秋

――グレチキの後輩……まさかデビューが『元テレ』だとは思いませんでした。

有田 そしたらナベプロが、「契約しましょう」ということになって、所属することになったんです。当時、グレチキさんの人気がすごかったので、「俺たちもあんな感じで売れちゃうの?」ってワクワクしていたんですけど……3回出たくらいで、番組が急に終わっちゃったんですよね。グレチキさんみたいになるものだと思い込んでいたんですけど、まさか29年も経って、お尻を出しているとは思いませんでした(笑)。

――とは言え、ナベプロ所属じゃないですか? 新しいチャンスがめぐって来そうな気もするのですが。

有田 同期が、ふかわりょう君とかやるせなす。すぐ後輩に、ビビるなんかがいた。彼らのレベルについていけませんでした(苦笑)。みんながきちんとネタの完成度を高めていく中で、僕らはネタ見せでも落ち始めていって。ダンサブルって、ふかわ君とやるせなすの3組でずっと合同ライブをやっていたんですよ。一緒にやっているとなおのことわかるんですけど、彼らはものすごく頭が良くて、ネタもしっかりしている。

 一方、僕らは学生のノリのまま……そういうことしかできなかった。所属してから5年くらい経っても結果が出ないので、「事務所を辞めようか」と相方と話し始めるようになって。それで、最後に単独ライブをやることにしたんです。もし事務所の方がちょっとでも「良かったよ」と言ってくれたら続けようって。でも、事務所の方は誰も見に来てくれませんでした(笑)。

 ただ、自分たちで初めて単独ライブを開催してみて、初めてお笑いが楽しいと思えたんですよね。僕は、いじられて笑いが発生するタイプですから、何から何まで自分たちでやるということが新鮮で面白かった。変な話ですけど、やめる気持ちになって、はじめてお笑いが面白いものとわかってきたというか。