野球部以外の生徒と接することで、柔軟な発想を取り入れられるように
ところが、好事魔多しとはよく言ったもので、88年夏の東東京予選のベスト8で帝京に負けた後、突然の監督解任を言い渡されたのです。その理由は、「2年間、甲子園に出場できなかったから」。ああ、まただ――。私は失意のどん底に落ち込みました。
私はこのときを境に野球から離れ、一教師として一般生徒の指導にあたっていくことを決意したのですが、野球部員以外の生徒と深く接することで、初めて発見したことがありました。
野球部にいる生徒は「甲子園に行く」という明確な目標があるので、それに向かってどう鍛えていけばいいのかを考えながら指導にあたっていました。
けれども一般生徒は違います。「ああしたい、こうしたい」という明確な目標を持たずに、惰性で毎日を過ごしている者もいる。世間では「ワル」と言われているような不良の生徒たちも、「なぜ不良になってしまったのか」を深く考え、将来について明確な目標を持たせるにはどうしたらいいのか、日夜を問わず思案していた時期もありました。
私にとって彼らのことを考えて過ごしていた時期はかけがえのない財産となったと、後に気づきました。それまでの監督時代は私が主導の考え方で、ときには強引に推し進めてしまうこともありました。けれども野球部以外の生徒たちと接することで、相手を思いやり、柔軟な発想を取り入れられるようになったのです。
選手を指導する上で大切にしていたこと
もし私が野球部の監督を一度も辞めることなく、長年続けていたらどうなっていたのか。何かの拍子で部員に手を上げてしまい、それに端を発して学校全体で話し合われる問題となり、結果、野球部の監督の座を追われてしまう――。なんてことも起こりえたかもしれません。
人生で回り道をすることは決して遠回りではありません。遠回りしたことで、これまで自分が知り得なかった発見や気づきがある。そのことによって考え方の視野を広め、人間的にも成長していけるのだとしたら、回り道をすることはネガティブなことではないのです。97年に日大三高の監督に就任してから私はその思いを強くしました。
私が選手を指導していて大切にしていたことがあります。それは「伸び伸び」と「野放し」は違うということです。
甲子園で戦うとき、選手たちはこの舞台に立つために厳しい練習を積んできたという自負があります。私はどんな強豪校を前にしても、試合前に必ずこんなことを言っていました。
「投手は相手の打者に自分のボールが通用するか、真っ向勝負で挑むんだ。打者は三振を恐れずにフルスイングしてきなさい」