甲子園に出場できたチームも、そうでないチームも、日々の厳しい練習と実戦経験を積み重ねていき、課題が見つかったらどう克服していくのか。個々、あるいは選手全員で考え、練習や試合で試していく。こうしたプロセスを私は長年見続けてきたので、夏の西東京予選で負けてしまったとしても、選手を責めることは一切しませんでした。
選手たちの姿から改めて学んだこと
一方で20年の新型コロナウイルスの蔓延によって、夏の甲子園が中止になったときには心を痛めました。彼らが1年生のとき、3年生が夏の甲子園でベスト4まで進んだ姿をアルプススタンドから見届けていました。「オレたちが最上級生になったら絶対に甲子園に出場するぞ」と意気込んで練習に励んでいた折、不測の事態が発生したのですから、彼らの心中を察するとやるせない思いに駆られてしまいます。
甲子園中止の代わりに東京都独自の代替大会が開催されることが決まった後、選手全員を前にこう言いました。
「いつもの年と同じように熱い気持ちで夏を戦おうじゃないか」
結局、ベスト8で佼成学園にサヨナラ負けを喫して、3年生の夏は終わりました。合宿所に戻って私が話し出すと、3年生全員が目を真っ赤にして泣いていました。
涙を流して終わることができたのは、野球に真剣に取り組んできた証拠でもあるのです。「高校野球はこういう形でなきゃいけないよな」、選手たちの姿からあらためて学びました。
学校全体から応援してもらえるような野球部に
高校野球は誰のものでしょうか。間違っても野球部関係者だけのものではありません。かつて取手二、常総学院を率いた木内幸男さんからこんな言葉をかけていただきました。
「小倉君、学校全体が『甲子園に行ってほしい』と応援し、盛り上げてくれるような野球部を作らなくてはいけないぞ」
その通りだなと思いました。選手が「ただ野球がうまければいい」「野球部だから偉い」などと特権意識を振りかざしているようでは、野球から離れた学校生活でもいい加減なものとなってしまい、間違いなく一般生徒との間に壁や溝ができてしまいます。クラスメートと仲良くして、先生方からも好かれるような野球部員であり続けることで、みんなから「応援してあげよう」という雰囲気になっていくのです。
4月からは三木新監督の下で野球部が始動します。私が来るまでの三高は「洗練された野球」と言われていましたが、私が来て2001年の夏に全国制覇を成し遂げて以降は、「強打の日大三」と言われるようになりました。
三木新監督はどんな野球を見せてくれるのか。私は遠くからそっと見守っていこうと考えています。