「赤ペン入れて直したろか!」と怒りながら勉強する日々がしばらく続きましたが、あるときを境に発想を切り変えることにしました。こう考えることにしたのです。
「世の中の理不尽の正体、言い換えれば、子ども時代から感じてきていた社会の冷たさの原因の1つは、法律にある。間違っているこれらの法律を変えていくためには、まずはその法律を知る必要がある」と。
そう思い直し、司法試験に臨むことにしました。
もっとも司法試験は甘いものではなく、結局4回目の挑戦での合格となりましたが、私が司法試験に通ったことを知った石井さんは、花束を抱えて駆けつけてくださいました。あの笑顔は、今でも目にしっかりと焼きついています。
弁護士になり、その後独立。2000年には地元の明石で、法律事務所を設立しました。
弁護士の使命は「人助け」と「世直し」
赤ペンを入れたいことの多い法律ではありましたが、中には美しい条文もありました。たとえば、弁護士法の第1条です。そこには、こう書かれてあります。
「第1条(弁護士の使命) 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」
わかりやすく言えば、「基本的人権の擁護」とは「人助け」、「社会正義の実現」とは「世直し」のこと。「そんな使命が弁護士にはあるのか!」と、感動したことを覚えています。以来、その使命に従い、行動してきたつもりです。
目の前に困っている人がいれば、お金に関係なく仕事をしました。とりわけ社会的に弱い立場にある依頼者については、他の弁護士が見捨てても自分だけは見捨てないとの思いで弁護士活動を続けました。
ヤミ金にスタッフ総出で連日電話攻撃
お金のない依頼者からは無料で依頼を受けました。知的障害のある交通事故の被害者のケースでは、泣き寝入りはよくないと思い、自腹を切って裁判を提起し、賠償金を勝ち取って全額を渡したりもしました。いわゆる悪徳なヤミ金に対しては、ヤミ金のしていることをヤミ金自身に知らしめようと、私の法律事務所からスタッフ総出で連日電話をかけまくり、相手が「やめてください。こちらも、もうしませんから」と言うまで、徹底的に闘ったりもしました。
国選弁護人として初めて担当したのは、窃盗の常習犯の件でした。
妻子のある被告人は十数件の余罪を自白。そのすべてに詫び状を用意していました。にもかかわらず警察は、被害額が大きく証拠も明らかな2件だけを立件しようとしました。
私は警察に乗り込み、それはおかしいと訴えました。
「被害者がいる以上、全部捜査すべきじゃないのか!」と。
それらすべての事件について事実を明らかにして、被害者に謝罪し、償ってこそ、加害者の更生への道もできると思ったからです。