結果、私は被告人の妻とともに被害者全員のご自宅に何度もお詫びに回り、全件について示談をとりまとめました。
「泉くん、気持ちはわかるけどな、やりすぎや」
そのときの裁判官は、たまたま司法修習生時代の教官でした。
「泉くん、気持ちはわかるけどな、やりすぎや」
判決後、しばらく経ってから諭されました。ただ、今でも間違っていたとは思ってはいません。被告人はその後、再犯することなく家族で暮らしていると聞いています。
子どもたちの未成年後見人もしてきました。
両親を亡くし、2人だけで暮らすことになった子どもたちが、親権者がいないことを理由に学校を退学にされそうになっていたのです。その子どもたちの関係者が「あまりにかわいそうだ」と、私の法律事務所に駆け込んできました。
兵庫県の児童相談所に相談をしても、つれない対応でした。「子どもたちが本当に困っているんです」と訴えても、まったく動いてはもらえません。兵庫県の教育委員会にも掛け合いましたが、面倒なことには関わり合いにはなりたくないとの態度がありありで、本当に冷たかったのです。
それでも、子どもたちを見捨てることなど絶対にできません。
弁護士として依頼を受けた形をとり、戸籍をたどり、実家のある九州まで新幹線を乗り継ぎ、親戚の家を尋ね回りました。事情を説明すると同情してくれる人もいましたが、実際に身元を引き受けてくれる方は見つからず、最後まで誰も手を挙げてはもらえませんでした。
結局、私自身が2人の未成年後見人として身元を引き受けることになり、それでようやく、学校は退学にならずに済みました。そして、法律事務所のすぐ近くにアパートを借り、その2人を住まわせ、法律事務所のスタッフの1人に世話係になってもらい、2人が成人するまで面倒を見ることになりました。
「生活苦相談」で見えた社会の実態
私の弁護士時代の業務の多くの実態は、言うなれば「生活苦相談」とも呼ぶべき内容ばかりです。しかも多くの案件は、子どもの養育や仕事の確保など、弁護の「その後」、継続的な生活支援の問題も抱えている。にもかかわらず、行政からは見過ごされ放置され続けている場合がほとんどでした。
数多くの悲しみや苦しさに出会い、ともに悔しさを噛みしめる中で、いわゆる従来的な弁護士の仕事の限界というものを改めて思い知らされました。そして法律や制度、つまり、この世の中のそもそものしくみを変えなければ、問題を根本的に解決することなどできないのだと痛感させられたのです。
間違った法律や制度の中で抗うのではなく、その法律や制度自体を変えていく必要がある。そのためには政治の世界に行かなければ。
弁護士を続ける中で、そういった思いがどんどん高まっていきました。