夫から「パパとママと一緒に住まない?」と言ってくれて
ーー横浜の実家を二世帯住居にして、渡辺さんと高井さんの夫婦、渡辺さんの両親と暮らしていたとのことですが、それは「2人で4人の親を看る」ためですか。
渡辺 そこまで明確ではなくて。夫も私の実家やまわりの環境が気に入ってくれてたので、ゆくゆくはと思ってました。
結婚当初は彼が住んでいたマンションにいたのですけれど、仕事に出る彼を送ってから自分の仕事に向かって、そのあと横浜の実家に行ってと、くるくる動き回る私の労力を気遣ってくれたのと、だんだんと弱っていく私の両親をみて、結婚から3年して「パパやママと一緒に住まない?」と言い出してくれたんです。
ーーそれもなかなか言えない言葉ですね。
渡辺 驚きました。私の母も、渡辺に良くしていただくのは、ご長男を取ってしまうみたいで高井のご両親に申し訳ないという気持ちだったので。でも、さら〜っと言ってくれたのですよね、本人は。そんな母と私の頑なな遠慮を溶かすみたいに。
ありがたいことに高井の両親は、その頃はまだ神戸で元気に暮らしていて、同世代の母と義母もはじめて会った時から意気投合していたんです。父と母も初対面から高井のことを信頼して、父とは目と目で通じ合っていたように感じます。母にいたっては、娘が何度言っても聞かないことを、高井からだとすんなり頷いていて拍子抜けするくらいでした。
ーーその後、高井さんのお父様が前立腺がんを患ったこともあって、義理のご両親も近所に移られてきたと。高齢での引っ越しですから、なかなかの決断ですよね。
渡辺 義父が82歳、義母が77歳での引っ越しで、しかも住み慣れた神戸を離れるわけですから、よく決断してくれたと思います。
勤めていた頃の義父は転勤が多く、中でも横浜の赴任が一番長かったとのこと。なので、高井も生まれは神戸だけれど幼稚園からずっと横浜で、義母の友人も横浜に多いんです。義父としては自分が先立ったあとを考え、義母にできるだけ寂しい思いをさせたくなかったのでしょうね。
高齢での引っ越しは大変でしたけれど、「こちらでも教会に通いたい」という義母の希望で私が通っていた幼稚園の教会に二人で通いはじめてからは、お友だちもできて、とても楽しそうで。アットホームな教会なので、礼拝のあとの茶話会で義父の話に若い方々が聞き入ってくださったり、牧師さまご夫妻が義理の両親のマンションにいらしてお酒を酌み交わしてくださったり。
「謙虚に、明るく」と座右の銘を話すときの義父のおもかげは今も脳裏にあって。「教会の墓地に入りたい」と遺言したので、私たち夫婦も墓地の整備をお手伝いしてやっと完成したときには、あぁお義父さまに見ていただきたいのになぁ、なんて。見ためは豪胆なのに、繊細でおちゃめ、かっこいい義父でした。
88歳で亡くなった父
ーー渡辺さんのお父様は、2014年に88歳で亡くなったとのことですが、差し支えなければ、詳細をお聞かせください。
渡辺 2014年2月6日に他界しました。その日、ドライブロケの予定だったのがゲストのご都合で急遽キャンセルになって、私が家にいたんです。
昼過ぎ、ヘルパーさんに「真理さん、パパさんの呼吸が」と呼ばれて、様子を見たら呼吸が浅く、間隔も遠くて。搬送先の病院でCTを撮って、腹部動脈瘤破裂とわかりました。救急車から病院まで蘇生措置を続けてくださっていたのですけれど、私からお礼を伝えて止めていただきました。
前日の2月5日は両親の54回目の結婚記念日だったんです。母の隣で穏やかに過ごしてくれた翌日、旅立ちました。