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ーー親が生き切るのを見られたというのは、子供としては幸せなことなのかもしれない?

渡辺 私にとっては、幸せなことでした。親からの最後の訓えのようにも感じて。生きとし生けるもの、すべては放物線を描いて、土に戻っていきますよね。

 子供が学びながら大きくなるのは放物線の上り坂の弧だけれど、下降をはじめてからの弧はより一層、波乱含み。どんなふうに体の機能を手放していくのか、記憶は途切れていくのか。それを間近で見せてくれるわけですから。 

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 そしてだんだんと、不在が悲しいのは、会えて、一緒にいられた時間がどれほど幸せだったかの裏返しなんだなぁ、と気づかせてもくれるので。 

20年超も親を看ることができた原動力

ーー20年超も親を看ることができた原動力って、なんだったのでしょう?

渡辺 原動力なんて、多分ないんです。毎日、細かな選択にたくさんぶつかる中、その小さな岐路で「こっちの方が後悔しないかな」とか「大変だけど面白そうかも」と、迷いつつ選んだ時間が積み重なっただけで。 

 ただ、そうできたのも、健康で家計をまかなえたこと、何より、周囲の支えがあってこそでした。支えという意味でいったら、そもそも親なんです。 

 こんなに良くしてもらったから、応えたいな、という気持ちはずっとあって。両親はスキーが趣味で、遅く生まれた一人娘の割に赤ちゃんの私をポンポン置いて楽しんでくるくらい自由だったし、マイペースなんですけど、何をおいても護ってくれることは確かでした。それは体が動かなくなってからも生涯、変わらなかった。だから、義務でも体裁でもなく、今度はわたしが応えたくて、そうする方が心地よかっただけなんです。 

 仕事でもそうかも。声をかけていただいた気持ちに応えたいから、出来るだけの納品をしようと頑張れるし、その時間は大変だけど楽しくもあって。主治医の先生や介護職の方々、50年来のご近所にも感謝は尽きないから、少しでも形にしたい、とか。仕事も人生も、なんでも一個ずつ、感謝を返していくしかやり方がわからないというのが、おそらく実態です。 

 あと、環境もあるんでしょうね。基本、アナウンサーはオファーをいただいて仕事が成り立つ受注産業。最近は個人で発信する手段も増えましたけど。年齢でもトレンドでも依頼は増えたり減ったり、波はあって、自分の力不足を情けなく思ったりするけれど、気づくとそんなふうに空いた時間に新しい何かが入りこんでくるんですよね。

 20代30代のペースとは変わったから、親や家族と過ごす時間をもらえたり。だから、何かが終わって空いてしまう隙間も、嫌いじゃないんです。 

ーーここ数年、介護やご両親についてお話しをされるようになったのは、なにか背景みたいなものはあったのですか。

渡辺 いえ、特に背景はなく、自分から発信したいわけでは更になく。ただ、家族のことを聞かれた時、療養中の親を隠すのも嫌だったので。

 それに、人生の晩秋も素敵だなぁと感じたんですよね、親を見ていて。いろんな機能は手放すけれど、すやすやと眠って、くしゃっと無邪気に笑って、すべてから解放されていくのは気持ちいいだろうなぁと思えたので。 

 誰しもそれなりに頑張ってきた人生最後の季節、老いを後ろ向きにとらえるより、心豊かな豊穣であってほしいと願う分、わりと晴れやかに答えられたのかもしれません。