両親と暮らし続けたかった理由
ーー結婚して数年は高井さんのマンションで生活されていましたが、それ以外はご両親とずっと一緒だったわけですよね。
渡辺 生家から住民票を移したことはないです。ただ、大学時代から就職後は忙しくなって、仮眠できるスペースを都内にも確保していたので、実家には何日も帰らず電話しないこともしょっちゅうでした。
それでも、両親が心配して電話してくることもほとんどなく、そういえば頼られたり、頼みごとをされたこともなかったんです。一人娘に対して「あなたの好きなようになさい」というスタンスだったから、仲はよいけど、三人三様で。
だから、一転して親に何かあった時には離れずにいたいと思ったのかもしれません。二人で楽しそうに暮らすことで、私の忙しさもやりたいことも全部支えてくれてたわけですから。
それと、自分の親のことをこんなふうに言うのも気恥ずかしいのですけど、こぢんまりと素敵なラブストーリーなんですよね、いつまでも相思相愛で。私が知る中では一番、可愛く思えてしまう恋愛というか。それをできるだけ心穏やかに、きれいな形で完結させてあげたかったのじゃないかな、おこがましいですけど。
そういう意味では、私が勝手に親を看たかっただけで、親からしたら看てほしいなんてさらさらなかったかも。「ママのことより、ご自分の夫君のことをちゃんとなさい」とよく言われましたし。
介護についても看取ることについても、千差万別だと思うんです。離れて暮らすより同居がいいわけでも、ホームより自宅がいいわけでもなく、それぞれのご家庭によって事情は異なるし、心地よい距離感も違って当然なので。
ーー多くの者にとって親との別れは悲しいものですが「親と離れられなかった」からこそ、お父様、お母様を送る悲しみの深さは途方もなかったのでは?
渡辺 死別は、こたえますよね。天寿とわかっていても、生き切った姿を間近で見せてもらっても、こたえます。今も夜、両親の部屋に行って「すぐ近くにいるからね」と声をかける習慣は抜けないです。
悲しさとか淋しさそのものはどうしようもないのだけれど、それでも、少しずつ時間が経つと、心の粘膜みたいなものが治ろうとするのを感じるんですよね。時間は不可逆で、心は置き去りだとしても、身体は元気になって生きようと話しかけてきて、身体が立ち直ると、心もつられて回復してくるような。
そうすると、両親の存在そのものが自分の中にあるように感じるんです。今日はこんな一日だったと報告したり、こんな時はどう乗り切るかなと対話したり。不在は厳然と変え難く。けれど、温もりや訓えはかえって近くにあるような不思議な感覚というか。
母をずっとベッドの脇で守ってた犬がいるんですけど、じっと見上げてくる瞳を見て「この子を幸せにしなきゃ、ママに怒られるね。しっかりしなきゃね」と夫と話したり、動物たちに助けられることも多いです。
何より、生き切る姿を見せてくれましたから。もしも、天に召された親と通信できるなら「大丈夫。楽しく機嫌よくやってます」と報告すると思います。