「若手人気俳優が地上29メートル、マンションの9階から転落したが、特に後遺症もなく回復しその後19年間活動している」
映画やドラマでそんな脚本を書いたらおそらく「ふざけるな、そんな荒唐無稽な話があるか」とプロデューサーに突き返されるだろう。だが、これは現実に起きた事故で、その渦中にいたのは俳優の窪塚洋介だった。
ほとんど「現代の怪談」のような顛末
当時を知らない若い世代は「落下途中で木やロープに引っかかって助かったのか」と思うかも知れない。筆者はこの記事を書く前、事故当時のマンション現場を訪れたが、当時も今も、わずか高さ1メートルのフェンスをのぞけば、マンションの周囲にクッションになりそうなものは何もない。
これほどの高さから落ち、重傷を負いながら、なぜほとんど後遺症もないように見える復活を遂げたのか? 分からない。
事故当時、一命を取り止めたというニュースに安堵しながら、その体に残る重い障害と後遺症を想像しなかった人の方が少ないだろう。だが彼は数回の手術と車椅子生活から復帰し、歩き、話し、時には走る。
インスタグラムで時に見せる上半身裸の姿はまるで20代のように若々しく、大きな傷さえも見当たらない。29メートルから落ちて、平然と生きている男。それは強運とか奇跡という表現を越えて、ほとんど現代の怪談の領域に入る事実である。
18年ぶりの主演映画『Sin Clock』の舞台挨拶で、共演者の橋本マナミは「窪塚さんの作品は昔から見ているので、本当に存在するのかな?という宇宙人みたいなイメージがあった」と語り、主演の窪塚を「俺はUMAか」と笑わせている。
下の世代の俳優から半ば「伝説の生き物」という畏敬の目で見られるのは、事故からの生還だけではないだろう。たとえば、マーティン・スコセッシが遠藤周作の『沈黙』を日本を舞台に撮影した時、2年にも及ぶオーディションで探し求めたキチジロー役を窪塚が射止めた逸話が知れ渡っている。
最初のオーディションで、台本も覚えず、控え室だと思って入って来た窪塚洋介にキャスティング・ディレクターは激怒し、「マーティンはあんたみたいな無礼な俳優は大嫌いだ」とオーディションを落とされた、と窪塚は語る。だがその2年後、日本中の芸能事務所がオーディションに人気俳優を送り込み続けたであろうにも関わらず、マーティン・スコセッシは一度は落とした窪塚洋介をキチジロー役に選び直すことになる。
完成した映画『沈黙』を見ればその理由は分かる。卑劣な背信と裏切りを繰り返しながら、それでも何度も神を求めるキチジローの聖と俗、正気と狂気を行き来するような人物造形は、窪塚洋介以外に演じられるものはいないと思わせるような出来だった。