後藤 毎日ではないですよ!(笑)でも、満員電車は危ないと言われて。当時、芸人狩りが流行っていたんです。
確かに軽くやられたことはあるんですけど、どういうわけかその話に尾ひれがついて、品川庄司の品川(祐)さんが「アンラッキー後藤が芸人狩りに遭って、傷だらけになった」って色んなところで言って回ってたんですよ(笑)。
——傷だらけ??
後藤 実際は、渋谷で酔っ払いに「なんかやれよ」みたいに絡まれて、ちょっと擦りむいたっていうだけだったんです(笑)。そんなこともあって、ほぼタクシーで行ってました。いや、でも、疲れちゃったっていうのが大きかったかな。すごく疲れてたんです……。
——はい。
後藤 あと、周りが変わっていっちゃって。学校の友達も、腫れ物に触るじゃないけど、ちょっと態度に変化があって。私が急にテレビに出だして、変な話、学校には元相方も居たので、複雑な感じでした。
——元相方は、同級生だったんですもんね。
後藤 そうです。しかも、私よりもお笑い好きだったんですよね。私にとって、高校時代は微妙な3年間でしたね。
ネタをやる前から「帰れ」…客からの嫉妬と“下心”
——当時は芸人になるためにはスクールに通うのが当たり前の時代になっていたと思うのですが、後藤さんはそこにも通われてなかったですよね。
後藤 そうですね。アンタッチャブルとかもライブにスクール生のコーナーで出てましたから。それをなぜか高校生の私が横から普通に出ていました。
——嫉妬もありましたか?
後藤 あったと思います。たぶん芸人たちは面白くなかったと思います。
ただ、それよりも、客からの嫉妬がすごかったですね。あの頃芸人がみんなアイドルみたいになっちゃってたので。『ボキャブラ天国』がありましたから。
——だいたひかるさんがYouTubeの『街録チャンネル』というインタビュー番組に出て当時のことを語っていた時に、『爆笑オンエアバトル』のアンケートが「やめちまえ」といった罵詈雑言だらけだった、と。当時『オンエアバトル』は女性のお客さんがすごく多かったみたいですが、自分の大好きな芸人のそばにいる女が憎い、という感覚でしょうか。
後藤 そうだと思います。私の場合は……ライブ中によくありました。たとえば、ラ・ママの新人コント大会は、面白くないと客席から手が挙がって、何人か挙がると退場なんです。X-GUNとか海砂利(水魚)、底ぬけAIR-LINEと出てた時に、私が舞台に出た瞬間に手が挙がって、何もやらせてもらえない時もありました。