まさに「時代に選ばれてしまった」アンラッキー後藤のブレイク。自分を置いてけぼりに目まぐるしく変化していく周囲の環境と人間関係。その渦の真ん中で、それでも舞台に立ち続けていたのはなぜか。ただ空想が好きだった少女の、芸人としての目覚め。「嫌だ」と「嬉しい」の間で揺れながらも、ようやく自発的に活動できるようになった2001年、アンラッキー後藤は芸能界をあっさり引退する。当時彼女が抱いていた「焦り」と「夢」を訊いた。

 

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東京湾にも、きちんと落ちている

——大学時代はどっぷり芸人生活だったんですね。

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後藤 そうなんですよ。それまでとは違って、そこからの芸能界は結構楽しかったです。今までの、全て大人に動かされていた時よりは、自分の意見も言えるようになりましたし。

 あと、芸能界に友達もできて。高校生だと22時にはたとえ番組の途中でも帰らなきゃいけなかったから。それがなくなったので、打ち上げにも行けるようになりました。芸人とも仲良くなれて、芸能界楽しいな、に変わった。

——当時仲良かった芸人さんは誰ですか? 

後藤 芸人は、底ぬけAIR-LINEとかX-GUNとか、U-turnとかに可愛がってもらってました。ラ・ママ帰りにボウリングにも誘ってもらったり。でも、まだ19歳とかのときは、お酒が飲めないし、早く帰れって言われて、楽しい会のほうには一回も行ってないです。

 20歳を超えてからはミュージシャンの方が仲良かったです。音楽が好きだったので、音楽番組に出る機会が多くて、そこで知り合ったミュージシャンたちとは結構飲みに行ったりしてました。

——PUFFYさんの番組に出られてましたよね。

後藤 PUFFYは、すごくかわいがってくれました。ユースケ・サンタマリアさんも。PUFFYの由美ちゃんとは、夜どっちかの仕事が終わったら、家も近かったので、「ご飯行こう」とか「飲みに行こう」みたいな感じで。私の出る小さいライブにもきてくれました。

——仕事の内容はどうですか。変わりましたか?

後藤 そうですね。当時いろいろやってましたね。ヨゴレも……いやヨゴレはモリマンか。

 

——ヨゴレはモリマン(笑)。 

後藤 でも東京湾には何回か落ちてます。そういうのはやらない芸風だったのに、ちゃんと落とされてます。全部一通りはやらされました。

——嫌でしたか?

後藤 ドッキリは絶対やりたくなかったです。自分が全部知ってたうえで行動するのはいいけど、知らないものは全部嫌でした。それはいつも言ってたけど、そうもいかず。ドッキリもかけられるし、やりたくない仕事も引き受けてきちゃうし。でも、やりたくはないんだけど、たぶんスイッチが入るんですよ。始まると。