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「ここで普通の生活をしなきゃダメだ、と思った」…“伝説の女芸人”アンラッキー後藤(45)が、人気絶頂で引退した「真相」

アンラッキー後藤さんインタビュー #2

2023/02/26

genre : エンタメ, 芸能

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事務所への誘いは断りつづけていた

——これから先これをずっと続けるのはきついなと思いましたか?

後藤 ネタに関してはそうですね。でも、だからといってドラマに出るのも違うし。ユースケさんのPVに全部出してもらってるんですけど、それも「絶対違うでしょ」と思いながらやってました。私、演技できないから。当時、矢田亜希子さんと一緒に演技の練習もやってたんです。

——すごいですね。

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後藤 16歳ぐらいかな。いわゆる芸能界の事務所に入るにあたって、いろんな事務所でいろんなレッスンを受けさせられました。「今日はマセキ」「今日は浅井(企画)」とか。その度に各会社のお偉いさんたちから「で、うちに入るか?」「入りません」と。「どこも入りません」って。

——なぜ入りたくなかったんですか?

後藤 常に辞めようと思っていたので。入ってすぐ辞めたら、みんなに迷惑をかけちゃうから。

 最終的には入ったんですけどね。お笑いに全く関係ない徳間書店グループのズームリパブリックという事務所。当時岡本真夜さんが所属されていて、岡本真夜さんの曲が好きだったので決めました。

 

——そういう決め方だったんですね(笑)。でも、音楽事務所だと、お笑いはジャンル違いですよね。マネジメントのやり方も難しそうですが。

後藤 当時のマネージャーはもともとミュージシャンを担当していた方なんですけど、その方が結構ガッツリ売り込みを始めてくれて、この女性にだったらついていってもいいかなと思いました。

 あとはずっとフリーでやっていたので、ディレクターから直接仕事の電話をもらうんです。土曜日の深夜に生放送の番組があったんですけど、当日の夕方に「今日、出なよ」って連絡がくる(笑)。「今日ですか?」みたいな。

 とりあえずテレビ局に向かう途中でマネージャーに電話して、「なんか今から生放送に私出るみたいです」「分かった。すぐ行く」とか、そんな感じで。

——すごいスピード感!

後藤 人に恵まれていたんですね。昔は、お客さんには嫌われてたけど、制作側とはコミュニケーションがとれていたのかなと思います。スタッフさんが番組に呼んでくれて、その人が違う番組に行くと今度はそっちの番組に呼んでくれて。本当に人のつながりで、そこまで苦労なくテレビに出られてたんだと思います。

 でも、2001年に芸人をやめました。就職したのが2001年だったので。

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