就職、結婚、子育て、消防団。納得して選んだもう一つの道を今も生き続けるアンラッキー後藤。当時と変わらない声で、楽しい思い出も辛い記憶も淡々と述懐する。過去の映像や情報を全て削除し、取材も拒否してきた本当の理由。アンラッキー後藤を過去から解き放った、2022年M−1グランプリ。どえらく面白い女性芸人が再び一歩前に歩み出すまで。
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——ご家族は芸人を辞めるという決断について何か言っていましたか?
後藤 そもそも芸能界に賛成はしてませんでした。いまだに「入らなきゃよかったのに」って言います。「お前はあそこで変わった」「育て方を間違えた」とか(笑)。
普通に高校に行って、大学に行って、出版以外のところに就職して、結婚して……と、父が望む「普通」はそんな感じじゃないでしょうか。それが、あり得ないくらい波乱万丈になってしまった。「うちの子がそんなふうになるとは思わなかった」って。
——お父様的には出版もちょっと普通とは違うわけですね(笑)。
後藤 マスコミがそもそもちょっと(笑)。だから、父の影響もあって、芸能界をやめる時に「過去の映像や情報は全部削除してください」ってお願いしたんですよ。やり直しをしろと親から言われて、人生を。普通の人として生きろと。
——普通の人。
後藤 でも、私、ずっと普通の人だと思って生きてきたのに、というのはありますね。でも父にとって芸能界は違ったんでしょう。
「ある日プチっと」…就職後、うつ病に
——芸人という仕事は楽しくてやめられないと皆さんおっしゃいますが、そういう気持ちも何となく分かりますか?
後藤 分かります。ただ、私は当時は「なにかが違う」という気持ちのほうが大きかったです。だからすんなりやめられたのかなと。あとは、面白いことを違う形で表現ができるのかな、って。だから会社に入っても、今までにないことをいっぱいやろうとがんばっていました。ただ、それを一般の社会でやると出る杭は打たれるので、グッと打たれて、メンタルがやられました。
——たとえば、どんなことがあったのでしょう。
後藤 移動中に、私だけタクシーに乗せてくれなかったり。私が乗ろうとしたところでドアを閉められるんです。あとは私だけ食事が用意されてないとか、典型的な。
——なんという……。
後藤 大衆からの嫌がらせは慣れていたけど、個別のには慣れてなかった。で、ある日突然プチッと切れちゃって。