2020年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第5位は、こちら!(初公開日 2020年10月31日)。

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 今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。

「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。三つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている。

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 まだ「女性芸人」という言葉もなかった80年代。『ひょうきん族』で一世を風靡し、『やまだかつてないテレビ』でその人気を不動のものにした、山田邦子。

「唯一の天下を取った女性芸人」と言われた彼女は、40年という芸歴の中で、“女性という性”とどう対峙していったのか。バラエティ全盛期、山田邦子だけが「女性として勝ち上がった」その理由はどこにあったのだろうか。(全3回の1回目/#2#3

山田邦子さん

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「女性芸人」の道を切り開き、芸能生活40年

ーー山田邦子さん芸能生活40年、テレビも、芸人界も、それを取り巻く社会も当時とは大きく変わったのではないかと思います。

山田 そうですね。芸人とかお笑いとかそういうことだけでなく、世の中もね、OLとか一般的なお仕事も、女の人なかなかいなかったんですよ。今はカメラマンさんだって音声さんだってカワイ子ちゃんだし。40年で変わりましたよね。

 

ーーその中で山田邦子さんは「女性芸人」という道を切り開いていかれたのではと。そこにどんな苦労や思いがあったのか、お聞かせいただきたいんです。

山田 確かに当時女性芸人は珍しい存在でした。スタッフ含めて周りはほとんど男性。私兄と弟がいてね、男の兄弟ばかりだったから、まだそういうことが平気だったのかもしれない。麻雀やったり、野球観たり、ゴルフやったりするような家族だったから、やっていけたのかな……と思いますけどね。

 でも、ふと見ると楽屋でひとりでしたよ、考えてみれば。まだ「バラエティ」という言葉もあまり使ってなかったし、「女性芸人」のようなジャンル分けもできてはいなかった。なんかただポツーンと、一人だけの道を歩んでましたね。楽しくもあり寂しくもあり(笑)。

ーー「女性」のしかも「ピン芸人」。

山田 ピンだったからね、なかなか孤独感もありますけど。でもギャラも分けなくていいし、全部自分で、良ければ自分が褒められるだけ、ダメなら自分が責められるだけということなので。非常にたくましくやってきたものですけどね。それでも面白がってくれてる人たちが必ずいて、スタッフの中にも私のファンができて、それを頼りにして生き残るじゃないけど、やってこれたんだなと感謝してます。