1ページ目から読む
2/4ページ目

――お母さまにも厳しくあたっていたのでしょうか?

矢部 もう、母へのヤキモチがすごかったですよ。母が子どもたちの授業参観とか運動会、入学式に行くのもダメでした。「そんなに矢部の子どもが可愛いのか?」って暴れるから、親が卒業式とか学校行事に来たことが一度もありません。給食費とか、学校のお金もずっと滞納し、そんなの払わなくていいって。

 そもそも、母と継父は、当時母が働いていたスナックで知り合って結婚したんです。2人が結婚した後も、母はしばらくスナックで働いてましたが、お店で歌ったり踊ったりするじゃないですか。それでまた継父が激怒! だから、途中でお店も辞めてましたね。本当は続けたかったみたいですけど。

ADVERTISEMENT

――お母さまにも手が出ることも……?

矢部 めちゃくちゃ手が出る。母は、継父から髪の毛を引っ張られるとか日常茶飯事だったので、よく逃げてました。母が再婚して北海道に住みましたが、生まれ故郷の山形に戻ったり、また北海道に戻ったり。半年ぐらい逃げるときもあれば、1年くらいのときもあったかな。その都度、私たちも学校を転校していて。

墓場に連れていかれて「別れるなら死ぬぞ……!」

――お母さまが暴力を受けても戻るのは、なぜでしょうか?

矢部 好きだったんですって。オンナって、そうらしいですよ。私からみてもわけわかんないですけど。可哀そうとか、泣きが入るとか、もうしないからとか。暴力ふるう男の人ってそうなんですかね。私はそういう人と付き合ったことがないから、わからないけど。やっぱり相手が弱みを見せるじゃないですか。母も母性が強いから、帰ってあげようかなって。あと好きっていう気持ちもまだあるから。あるときは、継父が母を墓場に連れて行って、「別れるなら死ぬぞ……!」って言ってきたり。もう、ドラマみたいですよね。生きてて良かったって思いますけど。

――お母さまに対して、矢部さんが苦言を呈することはありましたか?

矢部 うちの祖母や叔母が、母に相当言ったと思いますよ。もうやめなさいって、もういい加減、逃げるんだったら、(以前住んでいた)山形で暮らすとか。あの男のところに戻るんじゃないとか。散々身内から言われてましたけど、なーんか戻るんですよね。だから、同じ男性と結婚、離婚を2回ずつしちゃうんですけど(笑)。

――矢部さんからは言われました?

矢部 言いましたよ。「今回は戻らないでね」って。「分かった」って言うけど、結局戻るのが文子ママなんですよ。

 あと、継父はお金があったので、そこも大きかったのかもしれないです。継父と一緒になるまで、子ども4人を一人で育てていたので、お金はいつも苦労していましたから。

――最後は、何が理由で離婚されたのでしょうか?

矢部 やっぱり暴力ですね。私は中学を卒業して東京に出てきたんですけど、それ以降に別れたと思います。ただ、母って波乱万丈ですけど、すごく愛される人なんですよ。継父の連れ子からも「ママ、ママ」って慕われていて、今、YABEKEというバーを東京でやってますけど、私は会ったことがないですが、一度お店にも来たみたいですね。

撮影 山元茂樹/文藝春秋

 あと、継父は、母と出会ったときは既婚者だったんです。母は独身でしたけど、不倫ですよね。だから、はじめは継父の元奥さんと母がバッチバチでしたけど、最後は仲良くなっちゃったみたいで。継父の元奥さんに「子どもたちを、よろしくお願いします」って言われたとか。普通じゃありえないんですけど。母、変わってるんですよ。いい人もそうじゃない人も、いろんな人が寄ってくるんですよね。