中学卒業と共に上京した矢部は一躍トップグラビアアイドルに。バラエティ番組『スーパーJOCKEY』の熱湯コマーシャルで人気を不動のものにすると、2022年には騎手と結婚。幸せをつかんだ今思うことは――。(全2回のうち2回目/前編を読む)

◆◆◆

「北海道に絶対帰りたくない、負け犬になりたくない!」

――グラビアのお仕事は順調にスタートが切れましたか?

ADVERTISEMENT

矢部 はじめの半年くらいは仕事がなかったので、事務所の電話番とか、漢字の書き取り……、中学の頃、ほとんど学校に行ってなかったので、そういった勉強もしてましたね。その後、ちょっとずつグラビアの仕事が入ってきたと思います。

撮影 山元茂樹/文藝春秋 

――矢部さんは、中学時代は地味で大人しかったと仰っていましたが、16歳でいきなり水着や露出の高い恰好など、特に抵抗はなかったですか?

矢部 抵抗はありましたよ。それまで暗くて、田舎のイモ姉ちゃんみたいな感じだったので。

 でも、絶対北海道に帰りたくない。母の再婚相手がいる家に、帰りたくなかったんです。それに戻ったら戻ったで、周りから「やっぱり戻って来た」とか、「負け犬」って言われるのは絶対嫌だったし。それが原動力でしたね。北海道か水着か天秤にかけたら、水着を頑張るしかない。もう、グラビアで多少露出しても帰るよりは全然マシ。何とかここで目立って、次のお仕事に繋げなきゃって必死でした。

――グラビアで活躍しながら、バラエティ番組にも出ていかれましたね。

矢部 たしか、はじめに出たのが『天使のU・B・U・G(うぶげ)』という番組で、司会が東野幸治さんと今田耕司さんで、無名のアイドルがたくさん出てました。華原朋美ちゃん(当時は遠峯ありさ)もいましたね。

 この番組で、結構いじってもらえたんですよ。アイドルがそれぞれ自己PRをする時間があって、私も、当時DVD……じゃなくて、VHSが出た頃で、『はじめまして矢部美穂です』っていうタイトルのVHSを宣伝してたんですけど。本番中に何かあると、今田さんに「矢部!」って振られて、慌てて「はじめまして矢部美穂です!!!」って急いで反応すると、笑いが起きるっていう。ほかの芸人さんたちも、「矢部面白い!」って言ってくださったのが嬉しかったですね。

 そこからナイナイ(ナインティナイン)さんの番組にも呼んで頂いたり、どんどんテレビにも出られるようになったと思います。

――中学時代から考えると、周りの環境が一変していきますね。

矢部 自分でも1、2年でよく跳ねたな! って、思いますよ。