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「ナマ着替えが間に合わなくて…」セミヌードも経験した矢部美穂(45)の今だから話せる“スーパーJOCKEY・熱湯ギャルズの舞台ウラ”

矢部美穂インタビュー#2

2023/02/18

genre : エンタメ, 芸能

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――また、グラビアやバラエティの活躍が続く中、2010年に池尻大橋にバー、YABEKEを開店されました。

矢部 30代に入ってましたし。あの頃、失恋したんですよ。私、お酒飲めないんですけど、夜な夜な西麻布のバーに通って、話を聞いてもらってて。次第に、自分で店出せばいいんじゃないって思うようになってきたんです。店があれば、お客さんから何か仕事の縁もできるかもしれないし、芸能の取材もお店でできるし、これは一石二鳥だなって。

 お金も無いからスポンサーを見つけて、思い立って3カ月後にはオープンしました。

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――かなり早い展開ですね。

矢部 これやりたいって思ったら、すぐにやらなきゃ気が済まないタイプなんですよ。それは良かったみたい。当時32歳くらいでまだ若かったし、エネルギー……、失恋エネルギーがすごかったので、それをバネのように跳ね返した感じ。

 あと、ちょうど母もヒマしていましたし、妹たちも結婚する前で時間もあったのかな。家族で一緒にやることになって。当時、芸能人の女性でバーを経営していたり、副業している人ってあんまりいなかったんですよ。新しいことにチャレンジするのが好きなんですよ。

人生の伴侶に巡り合うこともできて馬主になって本当によかった

――2019年には馬主の資格を取得されましたが、きっかけは何でしたか?

矢部 ずっと競馬関連のお仕事をしていたのと、矢部の父がジョッキーだったし、馬関連の知り合いに勧められたんです。「馬主になったら箔がつくし、説得力があるからやったら」って。当時、芸能界で馬主をやってるのって和田アキ子さんくらいしか浮かばなかったし、しかも私の年齢、あの頃40過ぎでしたけど、その年齢で馬主は中々いないって。

 ただ、最初は資料を集めるのもめんどくさいし、乗り気じゃなかったんですよ。でも、一緒に法務局とかついていくし、資料も集めるからって言われて、じゃあって。で、やってみたら……めっちゃ楽しい!

(本人提供)

――どのあたりに魅力を感じていったのでしょうか。

矢部 私は何か応援するのが好きなんです。中学生の頃アイドルオタクで、SMAPも売れる前からずっと応援してましたけど、競馬もそうなんです。山林堂騎手の応援も、めっちゃ燃えるんです。いろんな地方の競馬場に行って、旅費の方が高いでしょって感じでしたけど。もしかしたら次は勝てるかもしれない。勝ったら応援団を引き連れて、みんなで写真撮りたい! って。佐賀は3週連チャンで行きましたね。私、そういうのが、生きてる感じがして好きなんですよ。

 今はジョッキーと結婚したので、競馬の規定で馬主は辞めて母に所有権を渡してますけど、馬主やって良かったです。

――結婚される前は、何頭いたのですか?

矢部 たぶん20頭くらいいたと思います。お金ないんですけど、馬が勝って、また新しい馬を買ってって回して。

――馬の値段もピンキリですよね。

矢部 地方競馬なので、私はそこまで高いのは……、でもブースター500万、ディーレクタは1000万ちょっとしたかな。馬も一気に買ったわけじゃなくて、最初に1、2頭買って、その馬が稼いでくれて、また1頭みたいな。自転車操業みたいな感じですよ。

――1度馬を買うと、次も次も……、となるものでしょうか。

矢部 そのときエージェントがいたので、その子が馬を見る目があったんです。この馬だったら損しないよって言ってくれて買ってましたね。2年しか馬主をしてないんですけど、1年で20勝くらいしましたね。あり得ない、すごいですねって言われます。

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