家では小型犬を飼い、バレー部にブラスバンド、水泳に柔道も…話から浮かび上がる「裕福な家庭」時代
家では小型犬の狆(チン)を飼っていたともいい、話からは裕福な家庭だったように受け取れた。また、ヘレン・ケラーの自伝を買ってもらって感銘を受け、ドラマはNHK朝の連続テレビ小説「おしん」を見て「この子のようになりたい」と思ったそうだ。
地元中学ではバレー部に入り、ブラスバンドのメンバーにもなってトランペットを吹いたり、ピアノ、アコーディオンを弾いた。さらに華道や水泳や柔道も習うというマルチな活動ぶり。
「音楽はカーペンターズが好きだった。鳥取にブルーハーツが来たとき、友達に誘われて行ったが、激しすぎて私だけ帰りたくなった」
「J」のママから見せてもらった曲目リストにもロック系はなく、癒やし系の曲を好んでいた。美由紀は「中学の頃から歌が好きで、よく家の中でも歌っていたな」と回想。好きな曲を聞くと、「いとしのエリー」「河内おとこ節」「珍島物語」「越冬つばめ」「川の流れのように」「あゝ無情」と、堰を切ったように語り出し、スナック「J」でもよく歌ったと語っていた。
最初の結婚は加勢大周似の夫と…
美由紀は自宅から離れた米子市内の高校に入学した。「通学で朝6時半頃、家を出ていた。あまりいい学校ではなかった」といい、後に中退している。その理由をはっきり語らなかったが「先輩とケンカして『パーマしている』『パーマを濡らしてみろ』とシバかれた」といい、高2の夏休み前に退学。その後は職安で見つけた全寮制の化粧品工場で勤務を始めた。
ほどなく、彼氏ができた。4つ年上の加勢大周似だったという。仕事は「国家公務員。いつ呼び出しがあるか分からない、りりしい仕事だった」と、ここでもはっきり教えてくれなかったが、交際2年で妊娠が発覚。親に反対されたが、20歳になっており自らの意思で結婚を決めた。
36時間におよぶ難産、相次ぐ入院、そして…
地元で結婚式を行い、鳥取で初めての出産をむかえた。36時間もかかる難産で「妊娠中毒症になった。後で帝王切開すればよかったと医者に言われた」と語っている。
数年後に生まれた2人目の長女は安産で、長男を預けるため「託児所のようなところに行くのが息抜きだった。分け隔てなく、子供は大好き」というが、やはり体調は思わしくなく、生む前に2度の入院を強いられたという。
生活拠点は大阪に移ったが、夫も育児に協力的だった。ただ、姑が子育てに口出しをしてきた。「私は放任主義だったが、姑は私の母とも対立していた。子供にいい服を着せていると、『先に旦那の服をよくすべきでしょう』と怒られた」。親戚もいない美由紀は孤立し、ノイローゼになった。そして「鳥取に住めんか?」と切り出したが、夫は仕事を取り、ここで1度目の離婚に至る。