「ママ、いまどこにいるの」
09年11月2日に逮捕された後、糖尿の気があった美由紀は症状が悪化。美由紀自身、この頃は「もう死んでもいい」と思っていたというが、接見した弁護士から「待ってる人がいるんじゃないのか」と諭され、子供たちの顔が浮かんでハッとしたという。
「ママ、ママって泣いていると思うよ。悲しいじゃないですか」。弁護士はこう美由紀に語りかけた。弁護士は面会で子供からの手紙を読み上げた。
「ママ、いまどこにいるの」
寂しい思いをする子供の声が手紙から伝わり、美由紀は「ビービー泣いた。つらかった。母親だから。きっと子供も泣いているはず。子供のために頑張らないけん」と生きる覚悟を決めたと語っていた。
その後、7カ月拘置された警察署から鳥取刑務所の拘置施設に移送された。家族との接見禁止が続き、再会を心待ちにしていたという。
上田美由紀が求めた「差し入れ本」リスト
松江刑務所の拘置施設では刑務官と相性が良く、待遇も悪くなかった。美由紀は熱心に六法全書を読み込み、法律の勉強にはまり込んでいた。
この時、美由紀が差し入れ本の「欲しいものリスト」を郵送してきたので、毎日、松江刑務所に通って規定の3冊ずつ差し入れていた。
人の本棚はその人の心情や人格を示すと思う。リストを見ると、死刑囚や冤罪のノンフィクション、戦時中の体験記といった鬼気迫る内容が多く、面会ではリラックスしている美由紀も独房では崖っぷちに立たされている心理を物語っていた。
控訴審が近づいたある日、美由紀は突然、「時間がない。早く出版しなければ。そのノートを全部、私に差し入れにしてよこしてよ」と憔悴した様子で迫ってきた。
なるほど。ここで遅筆の私を切って、だれか他の人に自叙伝を頼もうとしているという疑念が生まれた。
ここまで記述した美由紀とのやりとりはあくまで美由紀の主張でしかない。真実か否か、ある程度は裏付けが必要ではないか。ましてや強盗殺人だけでなく、複数の詐欺罪で有罪となった女だ。そもそも出版社も見つかっていない。間に合うわけないよ……。そう思った私は足が拘置所から遠ざかり、結果、音信不通になった。
上田美由紀の見せた“顔”
「欲しいものリスト」の本代を受け取らない私に、美由紀は「そういうわけにはいかない。あんたに迷惑かけられない。ちゃんと払うから」と気を遣ってくれた。次々と男たちを手にかけたという「モンスター」の側面を美由紀は私に一度も見せなかった。私は本当の美由紀と接していなかったのかもしれない。
ただ、度重なる難産や体調不良の中でも5人の子供を産み、また受験期には子供に家庭教師までつけていた。子供を育てる母として「生きなければならない」という意志だけは、疑いようのない真実だと確信している。