「子供が抱きついてきた。疲れが吹き飛んだ。母親とはそんなものだと思った」
未就学児2人を連れて出戻った美由紀。元夫とは親権について話し合ったというが、「私の子だから親権は私」と譲らなかったという。周囲からは子供を施設に預けた方がいいのではないかと勧められたが、「私は絶対にできない」とかたくなに拒んだ。
実家の近くに住まいを構え、新聞広告で見つけた結婚情報センターで事務仕事に携わった。「通勤は汽車で、子供を迎えに行くと『〇〇ちゃん』と呼び、子供が『マミー』と抱きついてきた。それで疲れが吹き飛んだ。母親とはそんなものだと思った」と振り返り、美由紀の実母と協力して子育てに励んでいたという。
「堕ろしてくれ」に「赤ちゃんを見たいという母性本能が働いた。何考えているんだ、この野郎と…」
その後、勤務先の社長の知人だった14歳上の柳葉敏郎似の男性と交際し、妊娠が発覚する。相手の男性も子持ちだったといい、実母に結婚を反対された。また実母は「堕ろしてくれ」と懇願したというが、美由紀は「つわりがあるのは、赤ちゃんが元気だということだ。シングルマザーになってもいいので、赤ちゃんを見たいという母性本能が働いた。何考えているんだ、この野郎と思った」と当時の心境を語っている。
難産の末に次男を出産した。美由紀は「16歳のころから子だくさんになりたかった」といい、早産や妊娠中毒症で母体が危険になることもあったが、この男性と再婚した(その後離婚)。
引き抜かれたスナック「J」で…
時は流れ、5人目を産んだ後、鳥取市内でスナックに勤務していたが、不審死した男性たちとの接点となったスナック「J」に引き抜かれる。テレサ・テン、八代亜紀、Every Little Thingといった幅広い世代にウケる歌謡曲を歌い、「J」にやってくる生活保護の老人や市職員、警察官、自衛隊員たちを虜にしていった。
「私が風俗に勤めてたとか、2~3回来た客を寝取ったとか、全部ウソです。私がしたのは同伴(アフター)とカラオケとご飯を一緒に食べること」。特に美由紀は「J」で素行が悪かったとする報道に神経質だった。
「J」のママは「体で客を取れ!」と命じていたというが、美由紀はかたくなに拒否。「嫌だったのは高齢の客とムード歌謡を聴きながらチークタイムに入るのと、コーヒールンバにのせて踊らされたこと」と振り返っていた。また、つまみは高カロリーのものが多く、酒も一升瓶をラッパのみするほどだったという。
「血糖値が500もいった。肝臓や腎臓が追いつかずに40度の熱が出て、腹水がたまり死んでしまうかと思った。でも子供がいるから入院なんてできない」
美由紀は「J」を辞め、詐欺容疑の共犯として逮捕された自動車販売業の男と同棲をはじめる。08年7月のことだった。
どういう意図があるかは不明だが、美由紀は私に事件の真相を語ろうとはしなかった。唯一、「身長149センチの私が170センチもある男性を殺害したことになっている。起きられない人を段差のある海まで30メートルも運べるわけがない」とボヤいていたという私のメモがある。