ゲーム原作の映像作品が失敗しがちな理由
テレビゲームは確かに映像を観る要素もあるが、そもそもゲーム体験として作品が評価されるのである。ストーリー自体が平凡でも体験として楽しければ高く評価されるように、プレイヤーが画面の中に干渉できる遊びなので、映画やドラマとは話が異なるのだ。
たとえば映画で残虐な場面を見るのと、ゲームのなかで自分が残虐な行為をするのとであれば、後者のほうがより衝撃を感じやすいだろう。つまり、ゲームをそのまま映像化しても魅力がこぼれ落ちてしまう可能性が高い。
また、ゲームの映像化には、「より多くの人にIPを知らしめるため」という商業上の事情もある。漫画が映画化されると嫌な気持ちになるファンがいるように、違う媒体に作品を落とし込むのは容易ではないのである。
このように、ゲームの映像化は難しい。にもかかわらず、『ラスアス』は商業的にも作品評価でも大成功を収めている。成功の理由は「原作の理解」と「換骨奪胎」にある。原作を尊重しつつも、それを越えようという意識が存在するのだ。
ドラマ版は、ゲームシリーズのクリエイティブ・ディレクターであるニール・ドラックマンと、ドラマ『チェルノブイリ』を手掛けたクレイグ・メイジンの2人が脚本・製作総指揮を担当している。各話の制作予算は1000万ドル(約11億円)を超えているとのことで、気合の入りようもかなりのものだ。
本作の世界は滅びかけているため、車は大量に放置されており、川では船が転覆しており、看板は一部が壊れてツタにまみれている。これらを現実のセットとして表現すると非常に迫力がある。つまり、ゲーム(仮想世界)を越える不穏な空気を現実世界において作り出せているのだ。膨大な予算がかかるのもわかるほど、壊れた世界が作り込まれている。