2トンでは物足りなくなって、4トントラックへ
――家業というと?
門馬 おじいちゃんがやっていたのは研磨専門の町工場です。鉄板とか非常ベルとか何でも研磨するんですけど、私は研磨よりも納品の配達がやりたくて。最初は軽トラと2トンに乗っていたんです。
――配達の仕事はいかがでしたか?
門馬 最高でしたね! ジーパンにTシャツで、エプロンしてお客さんのとこに配達に行くんですけど、取引先の皆さんはフランクで、「どうも~! 来たよ~」「ああ、よく来たな~」みたいになるじゃないですか。そんな会話からもう楽しくて。
で、当時は手で籠を運ぶんですけど……。その時に私、「体を動かすのって楽しいんだ!」ってやっとわかった気がしたんですよ。実は子どもの頃からすごく運動音痴でして。妹は運動神経が良くて足も速いんですけど、私はクラスでビリ(笑)。今は女性ドライバーも増えて、機械で積むのが当たり前になっていますし、男性でも「体力勝負は無理ですから~」っていう人も多いんですけどね(笑)。
――では、そこで体も鍛えた?
門馬 そう。昔は超なで肩だったんですけど、今ではすっかり肩がごつくなっちゃって。何年か後ですけど、最大で40キロまで手で担いでいました。それで、トラック自体も2トン車では物足りなくなって、今度は4トンに乗りたいって思うじゃないですか。昔は4トンまで普通免許でOKだったんです。でもおじいちゃんのところには4トン車がない。それで祖父母もよく知っている親がわりの運送会社の社長さんに雇ってもらったんです。
「自分は結構、スピード狂かも」と気が付いた
――そもそも、大型自動車というと何トンからなのでしょうか?
門馬 最大積載量でいうと6.5トン以上が大型です。乗れば乗るほど、もっと大きいトラックに乗りたくなりましたね。一人暮らしも満喫しながら、2年くらい楽しく乗っていたんですが、とはいえ20歳の時にそろそろ将来のことを考えようと。それでもともとの夢だった美容師の資格を取りに専門学校に行ったんです。無事、資格も取ってインターンとしてお店で働き始めたものの、もう遅かったんですよね。
すでにトラック乗りの楽しみを知ってしまったから(笑)。美容師ってずっと室内じゃないですか。やっぱり何か違うなって。
――せっかく資格を取ったのに? ご家族の反対には遭いませんでしたか。
門馬 もともと、おばあちゃんが私に勧めていたのは、競艇の選手と情報処理の学校で。
――競艇ですか。それはまたずいぶん方向性が違いますね(笑)。
門馬 私が17歳の頃、原付バイクに乗ってブンブンやっていたら、「お前は競艇の選手になれ!」って。「おばあちゃん、何言ってるの?」と笑っていたんですけど、大人になってから「自分は結構、スピード狂かも」って気が付いて。競艇の学校に行っていたら今ごろ、大金持ちになったかもしれません(笑)。
――それでも、やはりトラックの世界に戻られて。
門馬 そうですね。私の天職はトラック運転手だと。これからは本気でトラックを仕事にしようと思いました。それで、大型免許も取って就職情報誌に載っていた52社、片っ端から電話しました。