キリッとした顔立ちにショートカット、黒のシックなスーツが似合う運送会社「CHIGUSA JAPAN」の女性社長、門馬千草さん(49)だが、グリーンのジャケットを羽織り、愛するトラックに乗り込むと一変。嬉々とした子どものような表情になる。女性ドライバーとしてトラガール界を牽引してきた門馬さんは、なぜトラックにのめり込み、男性が多い業界で頭角を現していったのか。波乱万丈な人生とともに、長距離ドライバー時代の女性ならではの苦労を伺った。(全2回の1回目/後編に続く)

門馬千草さん

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ひとりで育ててくれた父が突然死

――トラックに興味を持たれたきっかけは? ご家族の影響でしょうか。

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門馬千草さん(以下、門馬) いえ、父は都内の銀行員でした。小学校2年生の時に、母親が離婚して出ていっちゃって、父子家庭になりました。でも父の仕事は朝早いし夜遅くて家にほとんどいなくて、1歳下の妹といつも2人で生活していた感じだったんです。その父親も私が小学校6年生の2月、あとちょっとで卒業という時に亡くなってしまって。

――急なことだったのでしょうか。

門馬 くも膜下出血で仕事中に倒れて12日後、数えで41歳の厄年の時でしたね。

――まだお若いですよね。

門馬 そうなんですよ。それで、母方と父方の祖父母が話し合い、群馬にいる父方の祖父母が「悪いけど、そちらへうちの孫は預けられない」と決めて。東京は離れたくなかったのですが、中学1年生の春から群馬に引っ越したんです。

――都会っ子が群馬へ。そして祖父母との同居となると、ずいぶん環境が変わりますよね。

門馬 もう、何もかもが変わりましたね。地域も環境も家庭も。父の場合、子どもがやりたいことは、やっていいようにできるだけ話を聞いてくれたのですが、厳格だった祖母は、「群馬じゃあ、そんなことはないんだ!」と(笑)。群馬というより、祖父母世代の価値観が違うのと、男の子ふたりを育てた人なので……。中学生にもなれば、女性はブラジャーとか着け始めるじゃないですか。そしたらおばあちゃんが「そんな早くブラジャー着けることないだろ!」みたいな(笑)。

――なるほど。いくら孫とはいえ、突然都会から来た12~13歳の女の子たちの気持ちはなかなか分からないものかもしれません。

門馬 そうですね。たとえば学校にお弁当を持っていくじゃないですか。そしたらおばあちゃんが作ってくれたのは、巨大なおにぎり1個でした。今、思えば作ってくれるだけでありがたいのですが、当時はそれが恥ずかしくて(笑)。洗濯も洋服を干すのが昔ながらの竹竿だから、強い風で埃が竹の節の部分に溜まってシャツに黒い跡がついてしまう。

 

将来は美容師になりたいと思っていたけど…

――群馬は風が強くて有名ですよね。

門馬 ええ。ただ、おばあちゃんは自分のやり方でやっているだけで意地悪をしているわけではない。それなら文句を言うより炊事や洗濯は自分でやったほうがいい。というか、やらざるを得ない環境でした。

 それでも、私は今まで生きてきた人生を不幸だとは一つも思っていないんです。そうやって幼い時から自立していたから今の私がある。もし群馬のおばあちゃんに引き取られてなかったら、私は今、社長をやれていなかったかもしれません。それにトラックに興味を持ったのも群馬に引っ越してからなんですよ。

――どういうことでしょうか。

門馬 祖父母の家の脇が国道なんですけど、いつも2階の窓からヒューン!と大型トラックが通っていくのが見えて、かっこいいなと思って。

――普通なら、逆にうるさいと思う環境ですよね(笑)。

門馬 いや、それがかっこいいんですよ! でも、その時はトラックが好きというだけで、将来は美容師になりたいなと。18歳で車の普通免許を取って、美容学校に入学するまでの間、家業を手伝おうと。