奥多摩は「東京の山」という手軽なイメージもあって、ジーパン、スニーカーなどで、運動などあまりしたことのない人まで出かけてくる。ところが、奥多摩に来る登山者にもあまり知られていないが、青梅警察署管内の山岳遭難事故だけでも年間40~50件前後発生し、死者・行方不明者は平均5~6人に上る。これに五日市警察署、高尾警察署などを合計すれば、東京都の山で発生する山岳事故は100件ほど。死者・行方不明者も10人弱になるという。

 ここでは、20年間、警視庁青梅警察署山岳救助隊を率いてきた金邦夫(こん・くにお)氏が、実際に取り扱った遭難の実態と検証を綴った著書『侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌』(山と溪谷社)より一部を抜粋。ヨコスズ尾根で起きた強盗傷害事件について紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

写真はイメージです ©AFLO

◆◆◆

ADVERTISEMENT

2件目の事件が発生

 6月に入ってからも、連日のように山間部の空き家や別荘、山の稜線にある酉谷山避難小屋、一杯水避難小屋などの捜索と、登山道のパトロールを続けた。

 6月8日、この日は山岳救助隊員15名総出で大掛かりな捜索が行なわれた。私は山岳救助隊で一番若い佐藤隊員と、峰谷の浅間尾根を登り、鷹ノ巣山避難小屋を捜索したが異常はなかった。鷹ノ巣山頂まで登り上げ、昼食後、日原方面に稲村岩尾根を下りはじめた。

 奥多摩きっての急な登山道を慎重に下っていると、午後2時ごろいきなり大塚隊員の至急報無線が警視庁を呼び出している。通信指令本部に対し「天目山の一杯水避難小屋に、先日同様の血だらけの登山者が寝ており問いただしたところ、今日の朝早く強盗にやられたと言っている。先日の強盗がまた現れたものと思われる」との一報であった。大塚隊員は今日、田口救助隊長、山内隊員と3名でヨコスズ尾根を天目山に登り、一杯水避難小屋を捜索している班である。

 私は佐藤隊員と稲村岩尾根を走るように下りはじめたがすぐにやめた。このまま日原に駆け下っても、朝早く人を襲った犯人が近くにいるわけもない。無線のやり取りを聞きながら「ちくしょう、またやられたか」と地団駄を踏むような気持ちで下った。

 最初の犯行には半信半疑だったものが、これではっきりした。そんな凶悪な強盗犯人が奥多摩の山を横行しているという事実に私は少なからずショックを受けた。無線連絡では、田口救助隊長らが一杯水避難小屋に到着して中に入ると、布団を被って寝ている登山者がいる。声をかけると血だらけの男性登山者が体を起こしたという。登山者は都内M区居住のT(77歳)と名乗り、気が動転しており話す内容もハッキリしないが、一杯水避難小屋に同宿した男性に殴られ金を盗られたというものであった。

 私は無線で大塚隊員を呼び出し、「応援部隊および捜査員をハンギョウ尾根の荷物搬送用のモノレールで上げ、被害者をそのモノレールで降ろして病院に収容したほうが早い」旨を指示し、佐藤隊員と下山を続けた。

 私たちは夕方奥多摩交番に戻ったが、天目山の班はまだ戻っていなかった。いまモノレールで下山中だという。

 暗くなってから交番に戻った田口救助隊長から、被害者Tさんの言動を聞いた。