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遠野 最初は心の整理が追いつかなくて、泣いて過ごしました。でも自分の中で「これはどういう感情なんだろう」という疑問も浮かんで、しっかり自分と向き合って考えてみたんですが、「寂しい」「悲しい」といった気持ちは一切なかったんです。自分でもそれにびっくりして。

「ああ、こういうものなんだ、母が亡くなるって」と。悪口を言うつもりは一切ありませんけど、最後の最後で「あ、やっぱり子供のことは愛してくれてなかったんだ」と現実を突きつけられたというか。3番目の旦那がガンで亡くなった次の日に、後を追うなんて……。

 

20代の終わりに母親と絶縁、電話で交わした最後の会話

――お母様の3人目の夫は確か、4人きょうだいの誰の父親でもないのですよね。

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遠野 そうです。私と弟、その下の妹の3人は、母にとって1人目の旦那の子で。一番下の妹は、2番目の旦那の子ですから。

――お母様は、最後まで恋愛に生きたということでしょうか。

遠野 本当に、そうですね。でも母の死をきっかけに、これまでずっと母に愛情を求めてしまっていた部分にキッパリ諦めがつきました。もう涙も出ません。

「もうここから、私は強く生きていこう」と思えています。

――お母様とは、もうずっと関係を絶たれていたそうですね。

遠野 距離を置き始めたのは16歳で1人暮らしを始めた頃だったかもしれません。でも、20代のうちはなんだかんだ母とは会っていました。まだすごく、母親の愛情を求めてしまっていたんです。最後に電話で話したのは20代の終わり頃、もう十数年前ですね。私が一度目の結婚をした頃に関係を切ったと思います。

――その最後の電話では、何を話されたのでしょう。

遠野 「今までどうして私にこんなことをしたんだ」とか「なぜ私を摂食障害にしたんだ」とか、酔っ払った勢いで責めてしまったりしましたね。子供の頃から「お前は醜い」と言われ続けて育ったので、今でも私は自分の姿を鏡でまともに見ることはできないくらいで。メイクするにも、コンパクトに付いているような小さな鏡でしか顔を見られないんです。

――最後に電話をしたとき、お母様はどんな様子でしたか。