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 昭和の高度成長期からしばらく、大衆娯楽は「個」とは逆の「人の絆」や「団結」など社会性を重視してきました。スポーツアニメ、部活もの、ロボットアニメ、魔法少女アニメはチームワークを重視する。アニメもまたその強い影響下にあるのです。しかし時代が平成になってから10年あまり。バブル経済崩壊後は、日本社会が激変します。電子機器で娯楽も趣味もコミュニケーションも変わっていくにつれ、「個の追求」が強まっていく。

 そんな時代性の急変期に、新海誠が登場したのです。ファンの中には「自分の気持ちが分かっているのは新海さんだけです」と語る人も多い。つまり「ネット時代が求めた新しい作家の代表」なのです。

自己分析は「欠落やギャップがキー」

 では新海誠監督自身は、どのように自作を考えていたのか。先述のインタビューで新海監督は、当時公開されたばかりの『言の葉の庭』(13)のテーマを“孤独という状態を否定しない”と位置づけました。制作動機を「孤独のまま立ちすくんでいる大勢の人に向けて、ひとりで誰かを求めている状態をむしろ肯定し、励ますような作品にしたかった」と語る新海監督の姿勢は、『君の名は。』(16)以後にも引き継がれていきます。

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 さらに過去作に関し、「『欠落』や『ギャップ』がキー」と総括しています。

『ほしのこえ』の場合は宇宙と地球の「距離」、『雲のむこう、約束の場所』では「現実と夢」、『秒速5センチメートル』はシンプルな「遠距離恋愛」で、これが『星を追う子ども』になると「地上と地下」や「生と死」という距離感になります。

(動画配信サイト「バンダイチャンネル」掲載「クリエイターズ・セレクション アニメーション監督:新海誠インタビュー」2014年9月25日 https://www.b-ch.com/contents/feat_anitsubo/backnumber/vol_2/p01.html より)

 この応用編としての『言の葉の庭』におけるギャップは「年齢差」で、「現実世界」のドラマとして描くことにより、「大人と子供」という点で社会性が発生したと、自身で明確に「脱セカイ系」を言語化しています。だからこそ『君の名は。』以後の3作品では、いずれもどこかに「社会性」が自覚されているわけです。

 さて、『ほしのこえ』でとった方法論に関しては、こう語っています。