『君の名は』『天気の子』『すずめの戸締まり』など、数々のヒット作を世に送り出してきた新海誠氏。その作風は「セカイ系」という概念を基に評価されることが多いが、新海氏は自身の作家性についてどのように考えているのか。
ここでは、アニメ・特撮研究家の氷川竜介氏による『日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析』(角川新書)の一部を抜粋。氷川氏による新海作品の分析、そして、新海氏が語った自作への思い、影響を受けた作品について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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「個」の時代が求めた作品性
新海誠作品は、キーワード「セカイ系」によって論じられることがあります。この言葉にはいくつか定義が存在しますが、筆者は「個人の問題とセカイの問題が直結する作品傾向」と理解しています。「どんな願いでも叶えられるアイテム」などの特殊な設定を使って「世界の変革」ないし「願望の成就」を描いた作品は、20世紀末から21世紀初頭にかけて急増していきました。
ところが現実世界では願望成就のためには「社会」があり、それを会社や部署など何階層かに分割した領域で、個人の努力と協調が求められます。とは言え、その努力は報われない傾向にありますから、「世界」のほうを書き変えて幸せになりたいというわけです。その努力の意識が欠落し、「世界」に直結させるのは「チート(不正)」願望だという点で批判もされ、カタカナで「セカイ系」と呼ばれるようになりました。この進化形が「異世界転生もの」です。重労働で報われない主人公がトラックや電車で事故に遭い、死んでしまう。目ざめてみるとオンラインゲームのような中世風異世界に転生している。新たに得た環境で主人公は本来もっていた才能や特殊能力を発揮し、ストレスなく願望を叶えていく……といった定型のあるサブジャンルです。
そのように「個」が肥大化し、社会性とは別の面で何らかの「承認」を求める傾向は、「ネット・コミュニケーション」の常態化と並走して急加速しました。旧世代から否定的にとらえられることも多かった現象ですが、筆者なりに共感もできます。
ネット時代が求めた新しい作家の代表
インターネットの効果・効能は多岐にわたりますが、かつて通信系のエンジニアだった筆者がつかんだネットの本質は「中ヌキ」です。
通販業者は問屋・小売りを通過せず、ダイレクトに商品を顧客へ届ける。動画配信は映画館や放送局を介せず、観客に直接作品を見せる。ある世代以後は生まれたときからその「中間排除」の環境で生まれ育ちました。ならば「社会」も中ヌキできるのではないか。そう考えるのは自然です。個に重点をおくネットの特質は「コミュニケーション=人の意思疎通」で顕在化します。SNSは音声も「中ヌキ」し、思考直結に近い文字を使う。「テレパシー 的コミュニケーション」を重視するのが、現代の若者です。