大学4年の時の『新世紀エヴァンゲリオン』(95)で、特にラスト2話ですね。まるで動かず声だけなのにものすごく緊張感があって、ショックを受けました。同時に「これなら手間的に自分も作れるんじゃないか」と(笑)。庵野監督の『彼氏彼女の事情』(98)も弟に貸してもらい、あのエッジの効いた演出の学園ものと『エヴァ』のラスト2話の手法は、『ほしのこえ』をつくる直接的なきっかけだと言えます。(中略) なのできっかけというより手法や発想の影響を受けたんですよね。劇場版『パトレイバー』も念頭にあって、レイアウトや風景だけで見せたり、動かさずに30秒の長台詞にするみたいな点で、「最低限の物語さえあれば、アニメっぽい映像ができるかも」と思いました。今考えるとかなり浅はかな受け取り方で、ホントに恥ずかしいんですけど(笑)。
(同サイトから引用)
新海誠監督によって「背景美術の重視」がさらに強化
新海誠作品で真っ先に話題になる「風景の美学」への意識についての原点です。
『ほしのこえ』発表時に筆者が注目した特徴は、「ラブストーリーなのに2人の触れ合いがほとんど存在しないこと」でした。ドラマの基本となる「接触」よりも、人のいない風景、あるいは登場人物が見つめる風景のカットが多用されている。セリフにしても大半が弁証法的な「ダイアローグ(二者の会話)」ではなく「モノローグ(独白)」なのです。これは「物語」として特殊なことで、「ポエム(映像詩)」に近い印象はここから来ています。
一方で「風景に託して言外の感情を伝える」は、もともと高畑勲・宮﨑駿らを契機に大きく発展した日本製アニメの特徴の系譜に位置づけられます。本書ではここを重視したいです。さらに『機動警察パトレイバー』『新世紀エヴァンゲリオン』ですでに実現されていた「背景美術の重視」の傾向は、新海誠監督によって、さらに強化された。すべてが「世界観主義」の系譜上で一本の線に結ばれています。
アニメーション文化でも「人の動き」による表現が重視されてきたワケ
新海誠以後の深夜アニメでは、演出用語「BGオンリー」のカットが目立つようになりました。「BG」とは「バックグラウンド(背景)」の略で、「オンリー」は手前にセルのキャラクターがいない状態を意味します。つまり「キャラの代わりに背景を見てくれ」が演出意図で、キャラの出入りもありません。シーン(舞台)が転換したときに説明としてよく使われる手法ですが、新海誠監督は風景そのものを主役級にとらえた演出を効果的に提示しました。そして『エヴァ』の影響も含めて「背景主体」の映像が増えていったのです。