四段昇段が決まった日。東京からの帰りの新幹線で、彼に

「明日将棋を指しますか?」

 と連絡したら、大丈夫なんですか? 帰れたんですか?と質問攻めにあったあとに

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「お願いします」

 と返信が来た。

お世辞にも綺麗とは言えない殺風景な部屋だが…

 いくつかの部屋を通り過ぎ、廊下の突きあたりの窓の少し手前にある、すっかりくたびれてしまった木製の扉を開けると、お世辞にも綺麗とは言えない殺風景な部屋が現れる。

 そこは通称「棋士室」と呼ばれており、関西将棋会館の歴史の中で大きな役割を果たしてきた。

建て替えが決まっている関西将棋会館 ©文藝春秋

 奥行きのある縦長の部屋に、それに合わせるような細長い机が2台縦に配置され、その両脇には12脚の椅子が所狭しと並べられている。この机の上には通常将棋盤が置かれ、朝からは研究会、夕方からは10秒将棋などの早指しや、その日の対局の検討が行われる。

 さらにその奥には少し高めの細長の2台の机が今度は横に並べられ、こちらは対局の中継業務を担う記者の方の仕事場にもなっている。

長らく私の練習将棋対局数第1位だった

 私は高校を卒業したのち、大学には進学しなかったため棋士室にふらっと行くことが増えていた。そんな折、関東から移籍してきたのが同じく奨励会三段だった大橋貴洸七段で、よく棋士室に来ていたため顔を合わせる機会が多く、次第に将棋を指すようになった。

 1対1で行う研究会(VS)を月1度のペースでやり、その上で別の日に棋士室にて顔を合わすと、(1手)10秒や20秒で将棋を何局も指したので、対局数はかなりの数になる。長らく私の練習将棋対局数第1位だった。

 VSのときは、昼食は将棋会館の近くでとる。「どこいきますかね?」と悩むのが常だった(これはどの研究会でもよくあることだ)が、たいてい前回行ったお店と逆方向の店に行くことが多かったと思う。将棋会館を出て、右に行くか左に行くかというのはとても重要な岐路なのだ。

 お互い三段リーグで苦労した。大橋七段が少し先に上がり、私はその1年半後に棋士になった。四段に昇段した直後のVSで、珍しくお昼に「行きたいところが」と、普段よりちょっといいお店でご馳走してくれた。