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個人の実力よりもチームとして戦うことが大事

 サッカーに関しては、純粋で、負けず嫌い。それは、多くの傑出した高校生プレーヤーの共通項ではあるが、彼は、そんじょそこらの高校生とは異なり、「肝が据わった」選手だった。

 それは、四中工に入部する経緯ひとつをとっても、端的に表れている。

「僕は兄弟が多いし、決して裕福でもなかったから、『みんながこれやっているから』『みんながこれをもっているから』という理由で、『俺も欲しい』とは言えなかった。うらやましいと話をしたら、お母さんから『そんなん、人それぞれや』と言われたんです。本当にそうだなと。周りがどうではなく、自分にとって何が必要か、何が正しいかを考えて行動するようになりました」

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 人の話を聞いて、自らと照らし合わせたり、その組織での立ち位置を把握したりして言動を選択できる。彼が中学時代に所属していたのはクラブチームではなく、地元の菰野町立八風中学のサッカー部だった。

 Jリーグの下部組織や地域で活動をするクラブチームに行かなかった理由を聞いたとき、彼はこう話していた。

「どっちがいいという考えすらありませんでした。『当たり前』って人それぞれなんです。僕のなかではどこに行っても、そのチームの中心になってプレーすることに変わりはなかった。この考えが当たり前だったので、クラブチームでうまくなるという選択肢も、中体連からい上がるという感覚もなかった。地元の小学校から地元の中学校に進んでサッカー部で頑張るというのが、僕のなかでの当たり前でした」

 周りから環境を与えられないとできないのではなくて、自分ならどこに行ってもサッカーがうまくなれるという自信。

 当然、中学校の部活動ゆえに、うまい選手もいれば、まったくの初心者や経験の浅い選手もいた。

「部員も30人程度だったので、紅白戦をしてもレベルの差は歴然。でも、拓磨は初心者の子やうまくプレーできない子がいても、すごく優しく接していました。だから、 紅白戦のチーム分けをすると、『拓磨と同じチームになりたい』という声が多かったんです」 

 以前、八風中学サッカー部の監督だった内田洋一氏に話を聞いたとき、そんなエピソードを教えてくれた。

 浅野は初心者の選手をフォローしたり、丁寧に教えたりする一方で、うまい選手たちに対しては、厳しく、しっかりと自分の要求を伝えていたという。