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「僕が経済面もなんとかする」“7人きょうだい”で家族思い、「裕福ではなかった」浅野拓磨のブレイク前夜

『ドーハの歓喜 2022世界への挑戦、その先の景色』より #1

2023/03/11
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三重県選抜のエースとしてブレイク

 このような経緯を経て、名門の扉を叩いた彼の目つきや意志の強さは、周囲の高校生とは異質だった。精神的な落ち着きと、サッカーに対する貪欲さを人一倍感じた。 

 最初は試合機会を得られなかったが、高校1年生の9月になると、国民体育大会(以下、国体)の三重県選抜のエースとして浅野はブレイクした。

 第89回全国高等学校サッカー選手権大会(以下、高校選手権)でチームは初戦敗退をしたが、浅野は1年生ながら途中出場。この高校選手権以降、彼の存在感は格段に増していく。

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 彼が高校1年生から2年生に上がる2011年3月。岐阜県で開催された高校サッカーの大会において、ひと際鍛え上げられた身体を、しなやかかつスピーディーに使いこなし、ピッチ上で躍動している浅野の姿を見た。

 確実に成長している彼に話を聞くと、目を輝かせながらこう話をした。

「プロになるためには2年生の1年間が大事なんです。ここで『あいつは違う』と思わせないと、僕の絶対目標は達成できないんです。それに樋口監督も僕に期待をしてくれていることが伝わってくるからこそ、その期待に応えたいんです」

 このとき、彼の目の力と思いがヒシヒシと伝わる言葉に、どんどん引き込まれた。

「費用を出してくれる親のためにも中途半端はいけないし、『なれませんでした』ではダメなんです。もう『何がなんでも』というか、プロになることしか考えていません」

 彼の目、言葉には嘘偽りがない。だからこそ、周りも彼に魅力を感じ、期待を寄せてしまう。彼の獲得に必死になった樋口氏の気持ちがよくわかった気がした。

 ここから彼とは頻繁に言葉を交わすようになるが、とくに印象に残った言葉がある。

「僕はあきらめの悪い人間になりたいんです」

 これはインタビューのときではなく、何気ない会話の中から出てきた言葉だった。

「どんなに困難なことがあっても、あきらめないでやることがいちばん大変だし、難しいことだと思うんです。でも、僕にはプロサッカー選手をあきらめるという選択肢はないので、どこまでもあきらめの悪い人間になりたいんです」

 11年後、この言葉を思い出すシーンがあった。それは後述するが、彼の覚悟は着実にステップアップへと導いていった。