そして夜が更けてくると、カラオケ屋からはタイ語とタガログ語の嬌声が聞こえてくる。そんな店に、東南アジアのギャルに手を引かれたシャルワール・カミース(パキスタンの民族衣装)のヒゲ男子が恐る恐る入っていくのを見かけたりもする。外国人だけではない。日本人経営の飲み屋や居酒屋、焼肉屋もあるし、そこで腹ごしらえした日本人の客がフィリピンの店に吸い込まれていく姿も目にする。
「亀仙人街」のドンに訊く
なにもかもがごった煮の亀仙人街だが、オープンしたのはいつなのか判然としない。
「30何年前じゃねえかなあ。俺いま74だからよ。40いくつのときだと思うんだよな」
亀仙人街のドン、地主である草間寛さん(74)はそう語る。いかにも昔気質といった感じの、茨城訛りのおっちゃんだ。自動車の整備などを請け負う会社を経営していたが、思い立ってテナントビジネスを始めることにしたのだという。このあたりの中心である石下地区にはいくらか飲む店もあったが、そこから鬼怒川を越えると「なあんにもなかった」から、やってみようと思ったのだそうだ。
「だから、不動産屋にも農協にも反対されたんだ。社長、ここ買ったってなんにもねえからうまくいかねえって。でも俺はよ、こんな土地だからおもしれえんだって言ったの」
そして30年以上前(40年以上前という話もあるが)に、土地を整備し2階建てで横長のテナントビルを建てた。なんといっても気になるのはそのネーミングだが、「ドラゴンボールじゃねえんだ」と草間社長。
「草間の家の過去帳を見るとよ、初代が亀吉って人なのよ。そこから“亀”もらってよ。んで、“亀は万年、鶴は千年”っていうだろ。それモジって“亀仙”ってつけたんだわ。でも正式に登録するときに、なんか“亀仙”だけじゃと思ってよ。“人街”をつけて、“亀仙人街”にした。まあゴロがいいっていうかな」
ここに「茨城七不思議」のナゾのひとつが解明されたのであった。
オープン当初はフィリピンパブが大盛況
亀仙人街ができた当時、常総地域(2006年の合併前なので石下町や水海道市など)には中国人の労働者が多かったという。それが90年代になると日系ブラジル人やペルー人が増えていくのは、この旅で見てきた各地の事情と同じだ。
「穏やかで言うこと聞くし、よく働くからって農協もブラジル人を推奨してな。食品加工の工場が多いんだ。うまい棒(常総市に本社を置くリスカ株式会社の主力商品。亀仙人街の近くには「うまい棒」のでっかい広告塔がある)もブラジル人やペルー人がたくさんいるしな。ゴルフ場のキャデーもブラジル人のとこがある」