高崎市からはじまり、群馬を走り埼玉をかすめ、茨城を貫通して太平洋に至る国道354号線。この道路の沿線には外国人コミュニティが多いのだという。いったいなぜこの地域に多くの外国人が集ったのか。そして彼らはどんな暮らしをしているのか。

 ここでは、アジア事情に造詣の深いフリーライター室橋裕和氏の著書『北関東の異界 エスニック国道―絶品メシとリアル日本―』(新潮社)の一部を抜粋。茨城県常総市に位置する“亀仙人街”について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

「茨城七不思議」のひとつ

 354は坂東市を抜けると、常総市に入る。すっかり北関東の田舎町といった風情で、車窓からは田畑と住宅街とが代わる代わるに見えてくる。空が高い。354はすっかり細い一車線道路となっていて、群馬では広域産業道路だったことがなんだか懐かしい。

 やがて354は大きな橋に差しかかった。鬼怒川だ。常総市はこの川が南北に流れていて、古くから水運を利用した交易の地として発展してきたが、たびたび水害にも見舞われてきた。2015年9月の豪雨では堤防が決壊し、市内の3分の1が浸水するという大きな被害をもたらした。

 そしてこの地域では、群馬の大泉や太田、茨城では古河あたりと同様に、90年代から日系ブラジル人の労働力に頼ってきた。彼らはおもに食品関連や建材などの工場で働いてきたが、それらの現場では多国籍化が進んでいる。高齢化していくブラジル人に変わって、ベトナムやスリランカ、インドネシアなどから来た技能実習生がどんどん増えているのだ。大泉と同じ構図である。彼らは工場だけでなく、田畑でも働くようになっているし、減り続ける日本人の労働力をカバーする存在として重宝されてきた。

なぜここまで外国の店が集まっているのか

 いまでは常総市の人口6万1562人のうち、外国人は5914人(2023年1月1日現在。常総市による)、9.6%に上る。この比率は外国人のきわめて多い茨城県でもトップだ。それも南米から東南アジア、南アジアと多様なぶれで、どこか僕の住む東京・新大久保にも似たカオス感があるのだが、それを象徴する物件が市の北部にある。