少し前に述べたように、戦前、特にサイレント時代の映画はフィルムが残っているだけでも奇跡といえる。しかも、それが満足な上映に耐えうる状態で保存されているとなれば、なおのことだ。
今回取り上げる『忠次旅日記』はその最たるもの。
第一部「甲州殺陣篇」、第二部「信州血笑篇」、第三部「御用篇」から成る本作は、名匠・伊藤大輔監督による映画史に残る傑作として評価されている。だが、その一方で長いことそのフィルムは紛失したままで、多くの人間が実際に観ることはできなかった。
それが、初公開から六十年以上が経った一九九〇年代に民家の蔵から、上映フィルムが発見されたのだ。完全体ではなかったものの、復元作業の結果、第二部の終盤と第三部のほぼ全編だと判明した。
それがデジタル復元され、ついには今年になってBlu‐ray化。家庭でいつでも気軽に「幻の傑作」を観ることができるようになったのだ。
この三部作は、侠客・国定忠次(大河内傳次郎)の兇状持ち(今でいうところの指名手配犯)としての逃亡生活が描かれている。第二部で現存しているのは、忠次の名を騙って方々で金をたかるまでに落ちぶれた子分たちと、忠次が対峙する、終盤の場面だ。
怒りと哀しみに満ちた、大河内の眼差しが圧巻。見事な復元により蘇ったその瞳は、眩いばかりの輝きを放つ。
そして、現存フィルムの大部分を占める第三部はその題の通り、忠次が捕縛されるまでの物語になっている。
造り酒屋の番頭として暮らす序盤の、色気と余裕に満ちた貫禄も素敵だ。だが、伊藤大輔は忠次を颯爽としたヒーローとは描いていない。
忠次は自身の境遇のために、酒屋の父娘を悲劇に追いやってしまう。そのことへの傷心を抱えながらも、捕り手から逃れるために必死に刀を振るう殺陣は実に切ない。また、第二部の最後で別れた少年と再会した際も、名乗り出ることができずに顔を隠して去るしかない。――といった具合に、逃げ続ける身の苦しさ、哀しさを徹底的に映し出しているのだ。
やがて忠次は、持病の中風の悪化と長旅の疲労が重なり、幻影を見ながら正気を逸していく。歩くことすらままならず、子分たちに戸板で担がれながら帰郷した姿には、大親分の面影はない。
忠次の生涯を英雄譚ではなく悲劇と捉える伊藤大輔と、全霊の芝居でそれに応える大河内。本作が「名作」と伝えられてきた理由がよくわかる、最高のコンビネーションだ。
往時の弁士を彷彿させるような名調子を聞かせる、坂本頼光による活弁も素晴らしい。