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東海道新幹線「のぞみ」“首都圏のちょっと地味な停車駅”「新横浜」には何がある?

2023/03/13

genre : ニュース, 社会,

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“いかにも裏口感”ただよう篠原口だが…

 篠原口はというと……小さな階段を降りて小さな駅前広場、そこにはたくさんの自転車が停まっていて、まわりにはコンビニがひとつあるほかはひたすら駐車場が広がっている。

 どこも満車の“満”の字が掲げられている。新幹線に乗る人たちが、クルマでここまでやってきて篠原口の駐車場を使うのだろう。駅前広場から振り返れば、横浜線の上を新幹線が跨ぐという、新横浜駅の構造がよく見える。新幹線ホームでの案内放送もまったくよく聞こえる。大都会側からは巨大な駅ビルに遮られて見えない聞こえない、新横浜駅の露わな姿だ。

 ……と、いかにも裏口感のある篠原口。ただ、人がいないわけではない。さすがに大都会側には負けるが、なかなか人通りは多い。それも制服に身を包んだ学生さんとおぼしき人が幾人も歩いている。

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 彼らは駅近くの駐車場ゾーンを越えて、小高い丘の上に切り開かれた住宅地の中へと向かっていく。篠原口は、駅前の駐車場の向こうには住宅地が広がっているのだ。周辺の高台には、他にも篠原城や大豆戸城といった城跡も残る。これらはいずれも北条氏が関東一帯を治めていた室町時代から戦国時代にかけてのものだとか。

 周囲にはお寺もあるし、家並みは昔からのもの。大都会側がきれいに区画整理されているのとは反対に、アップダウンのある高台に路地が入り組み、そこに大小の住宅がひしめく。

 路地をうろうろ辿っていけばほどなく菊名駅にも着くのだが、迷いやすいし迂回もするから時間はかかる。歩くくらいならひと駅横浜線に乗る方がよさそうだ。ところどころに新しいマンションやアパートが見えるのは、こちら側でも再開発が進んでいるということなのだろう。

 

駅の東西にまたがる「新横浜」の歴史。その開業は…

 いずれにしても、新横浜駅は西に広がる大都会と東側(篠原口)の高台上の昔ながらの町と、そうしたふたつの町の境界に位置している駅である。歴史的には篠原側がどう見ても古い。西側の大都会は、新幹線がやってきてから開発された、いわゆる“新都心”なのだ。

 新横浜駅が開業したのは、1964年10月のこと。東海道新幹線の開業と同時である。東海道新幹線の駅は、多くが既存のターミナルと同じ場所に設けられた。東京駅や名古屋駅、京都駅がそうだし、他には静岡駅や浜松駅などが代表だ。

 ただ、どうしたってそうした場所には駅をつくれない場合もあった。そこでまったく新しい駅をもうけたのが、新大阪駅、岐阜羽島駅、そして新横浜駅だ。岐阜羽島駅は純粋な単独新駅だったが、新横浜駅と新大阪駅は在来線との交点に駅が置かれている。つまり、JR横浜線の新横浜駅も、新幹線と同じタイミングで開業している。