それが地下鉄の開業で、利便性が大幅に向上した。そして時代はバブルへ突入。開発需要も一気に旺盛になって、そうしていまの新都心・新横浜が形作られていった。
横浜アリーナ、ラーメン博物館、日産スタジアム…開発は一気に進み…
横浜アリーナが1989年に完成、1990年にスケートリンク、1992年には新横浜プリンスホテルが開業。こうして集客力を高める中で、1994年にラーメン博物館が開館し、とどめになったのが1998年に開場した日産スタジアム(横浜国際総合競技場)である。
鶴見川の多目的遊水池上に建設されたスタジアムは、当初は1998年の国民体育大会を当て込んで構想されたものだが、サッカーW杯の開催地に決まるなどして存在感を高めていった。いまや、名実ともに日本一のスタジアムといっていい。
こうした発展にあわせるように、停車する新幹線の数も増えていった。
はじめて「こだま」以外が新横浜駅に停まるようになったのは、1976年だ。1日1往復の「ひかり」がようやく停車するようになり、1980年には「こだま」が削減されて「ひかり」が増えると、それに合わせて「ひかり」の停車本数が大きく増える。
1992年に「のぞみ」が登場するとその停車駅になり、駅ビルのキュービックプラザが完成した2008年からはすべての列車が停車するターミナルに成長。東急線が乗り入れる今年の春からは、早朝に新横浜駅始発の「のぞみ」も登場するのだとか(多客期のみ運転)。
東海道新幹線開業から約60年でいちばん変わった町
1964年に東海道新幹線が開業してもうすぐ60年。日本を支えてきた大動脈の新幹線は、沿線の町も大きく変えてきた。だが、その中でもいちばん変わった町が、新横浜なのかもしれない。そしてその変化は、東急線の乗り入れでまだまだ続く、というわけだ。
ちなみに、横アリやスタジアムでイベントがあると、新幹線というよりJR横浜線がめちゃくちゃ混雑する。駅員さんは一生懸命混雑緩和やお客の整理に努めているが、こうしたイベントの類いは終了時間直後に帰宅客が集中する。そこにたまたま新幹線で新横浜に降り立って横浜線に乗り継ごうとするお客が重なって、それはそれはもう大変なことに……。東急線の乗り入れは、そんな混雑を分散する効果もありそうだ。
もしかすると、東急線新横浜乗り入れの恩恵を受けるのは、新幹線以上に横アリやスタジアムでのイベントに参加する人たち、なのかもしれない。
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