導かれるようにマウンドは巡ってきた。

 3月11日。12年前に東日本大震災が起こったその日、被災地の岩手・陸前高田市出身の佐々木朗希投手がチェコ戦に先発して、代表初勝利を飾った。

代表初勝利を飾った佐々木朗希 ©️時事通信社

 まずは見事だったマウンドから。

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「初戦と2戦目は大差で勝って、いい流れでバトンを渡してもらった。その流れに乗って投げることができた。今日、このマウンドに立てたことに、とても感謝しています」

 試合後にこう語ったように、佐々木は力でチェコ打線を圧倒した。

 1回の第1球、外角低めに投げ込んだ162kmのストレートに、東京ドームのファンがどよめいて始まったマウンド。3番・フルプ外野手への初球、164kmで早くもこの日最速をマークした。1回に中野拓夢内野手の悪送球で1点を失ったが、その後も160km台を連発し、ストレートの平均球速は160.6kmを記録した。そこに140km台のフォークとダルビッシュ有投手直伝のスライダーを交えてチェコ打線を抑え込んだ。

160km台を連発し、チェコ打線を力で抑え込んだ ©️時事通信社

 4回に8番打者、スモラ内野手への3球目を投じたところで、大会の球数制限となる65球に到達。次の66球目のフォークで空振り三振に仕留めたところでマウンドを降りた。3回3分の2を2安打1失点、毎回の8奪三振と、ほぼ完璧な内容で自身の代表デビュー戦を白星で飾り、チームに1次ラウンド突破を確実にする大会3勝目をもたらした。

12年前、東日本大震災で家族を亡くしてから

 小学校3年生だった12年前。岩手・陸前高田市で被災した佐々木は、当時37歳だった父・功太さんと祖父母を亡くしている。津波で家を流され、長い避難所生活の末に大船渡に移住を余儀なくされた。そんな佐々木を支えたのが、幼い頃から功太さんとキャッチボールをして覚えた野球だった。