11月ごろになると、ノリが採取できた。
「最高の出来でした」と寺沢さんは振り返る。父親が「こんないいノリを見たのは何十年ぶりだ」と目を輝かせたほどだ。「近所に配って食べてもらったのですが、本当に喜ばれました」。
なぜ最高品質のノリが出来上がったのか?
そこまでの品質になったのはなぜか。「津波で海が洗われたせいだと思います。再開した人が少なかったので、海の栄養が行き渡った面もあったのでしょう」。
それまではあまりの被害の酷さに、「もう養殖はできない」と落ち込む人もいたが、素晴らしいノリの出来ばえに人々は勇気づけられた。「頑張れば、再開できる。またノリで収入が得られると分かったのです」。
本格操業に向けて、寺沢さんは6人でグループを結成した。1人では再起が難しかったからだ。「自宅を再建しなければならないのに、加工場を建設するまでの余力はありませんでした」。このため協業化し、国の補助金を利用して加工場を建てた。
最初に苦労したのは、イカダ作りだ。どこにも売っていないので、自分達で手作りしなければならない。普通なら1年に十数台を入れ換える程度だが、再開に向けては1日に10台程度作らなければならなかった。「手袋は2日に1枚ほど破れました」。
最初に海に入れたのは420台。徐々に500台まで増やしていった。
再開後も苦労は絶えなかった。漁師は1人1人が社長でライバルだ。「10人いれば、10通りのやり方があります」と寺沢さんは言う。競争心もあるので、なかなか他の漁師には技術を教えたがらない。
しかし、協業化後は教え合い、出来上がったノリを同じレベルにしなければ商売として成り立たない。互いの技術のいい面を融合させるには時間がかかった。
新しい乾燥機に慣れるのも大変だった。ノリは乾燥のさせ方で出来映えが違ってしまう。ちょっとした湿度の入れ方や風の回し方が製品に影響するのだ。だが、導入した乾燥機は被災前の2倍ほどの大きさがあり、勘どころがつかめない。「穴が開いたり、縮んだりして、当初は低い等級のノリもできてしまいました」。一度に乾燥できる枚数が増えた分、失敗した時のダメージも大きかった。
安定した商品ができるようになるまでには3年ほど必要だった。資材も少しずつそろえたので、軌道に乗るまでには4~5年かかった。