消えゆく伊勢屋
ただ、そのつもりになって注意深く見渡せば、終わりの始まりはあちこちに見つかる。風前の灯火のひとつが、伊勢屋。とはいえ、伊勢屋と聞いて「ああ」と膝を打ってもらえることはめったにない。「イセヤ……焼き鳥屋じゃないですよね」と訊かれるたびにひとしきり説明が必要なのだから、すでに幕の半分以上は下りているのだろう。でも、細々と命脈は保たれている。
伊勢屋の店頭に並ぶのは、みたらしだんご、大福、もなか、すあま、餅、赤飯、海苔巻、いなり寿司……ごく気軽で安価な日常の食べものばかり。暮れには正月用の餅、春分が近づくとおはぎ、春が来れば桜餅や草餅、5月の節句にはかしわ餅、中秋の名月の頃になると月見だんご、祝いごとには赤飯。日本人の暮らしと年中行事を結んできた。伊勢屋という店名の由来は、江戸時代、商売上手の評判をとる伊勢商人が手掛けた商いのひとつに餅やだんごを扱う店があったことから。市中のあちこちで繁盛していたので、伊勢商人の店は「江戸に多きもの 伊勢屋 稲荷に犬の糞」と、やっかみ混じりで揶揄された。現在、東京都下では大小70軒近くの伊勢屋が健在だと聞くが、伊勢屋の屋号にはたいてい「マル米」(○の中に米)印がつく。
街に愛される存在として、すぐ思い浮かぶのは、江東区富岡「深川 伊勢屋」だ。「深川のお不動さま」と呼ばれて信仰を集める深川不動堂(成田山新勝寺の東京別院)の参道「人情深川ご利益通り」の入り口に店を構え、創業明治40年。庶民的なウィンドウにはだんごから赤飯までぎっしり並び、自家製の惣菜まで備える充実ぶり。その日のものはその日にこしらえ、売り切れ仕舞いの実直な商い。デパ地下で売られる、見た目勝負の惣菜や甘いものとも一線を画す。古くから信仰と行楽でにぎわってきたこの土地での佇まいは、すでに深川の風景そのものだ。
新宿区西早稲田の「伊勢屋」も踏ん張っている。高田馬場から早稲田方面へ向かう早稲田通り沿い、深川から暖簾分けされて昭和36年創業。すぐ近くに開運、金運、商売繁盛の御利益をもたらす穴八幡宮があり、やはり江戸期から信仰を集めてきた。「伊勢屋」の外ウィンドウにも草餅、大福、いなり寿司、赤飯などが並び、店内では軽食を出す。以前はカレーやあんみつもあったけれど、少し品数が減ってラーメン、タンメン、焼き飯、チキンライスなど。草餅を頼むと、熱い煎茶がつく。おじいさんと孫が向かい合わせに座っていたり、買い物帰りの主婦が大福をつまんで休憩していたり、私にとって、微笑ましいご近所風景にくわわるのが早稲田での愉しみだ。
かつてはどの街にも伊勢屋が1軒あったものだけれど、コンビニが出現したあたりから雲行きは怪しくなり、1軒また1軒、時代の波間に沈んでいった。私が長く住む杉並の西荻窪にも、30年ほど前まで間口の広い伊勢屋が繁盛していた。ひとパック200円の赤飯、1個30円のいなり寿司、ひと串50円のみたらしだんご、つくりたてがうれしかった。いま、コンビニでは、どこでも同じ味と形の大福や赤飯のおにぎりを売っているけれど。
店が消えると、街の風景もぺらりと薄くなる。味だけではなく、風景という日常の自然を失うから、あられもなく動揺するのである。
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エッセイスト・平松洋子氏による「失われた味を求めて」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
失われた味を求めて