「床の間を背負う者」
昨年暮れ、誰にも告げぬまま、55年の歴史を閉じた居酒屋があった。台東区日本堤、労働者の街・山谷近く「大林酒場」。コンクリートの三和土(たたき)、L字型の厚いカウンター、丸椅子だけの簡素な佇まいが偲ばれ、いまだに気持ちの整理がつかない。つねに張り巡らされていた静寂と清潔と緊張。年代ものの木のカウンターで白雪の徳利を傾けながら、私は多くのことを学んだ。言葉にすれば野暮ったくなるけれど、たとえば店とお客との距離感のようなもの。“東京の居酒屋の極北”“最後の昭和の大衆酒場”と呼ばれた「大林酒場」は、存在そのものが社会への通路だった。ぐずぐずだらだらと飲ませない。静かに、きれいに。酔客には決して暖簾をくぐらせない寡黙な高齢の店主の流儀を、お客は社会の教えと受け取っていた。
密度のある空気が流れる居酒屋が減りつつある。つい先日、友人からこんな嘆きを聞かされた。老舗の居酒屋の縄暖簾を2年ぶりにくぐると、とても繁盛していたけれど、風通しのよかった雰囲気が一変している。なぜだろうと訝しみながら瓶ビール1本を飲み終えた頃、合点がいった。カウンターの一角で盃を傾けていた近所のご隠居さんたちの姿がない。コロナ禍で外に出るのを控えているのだろうと察したが、じつは、彼らの存在は絶妙の重石だったのだ。ご隠居さんたちは戻ってこないのかな、こうして居酒屋文化は先細ってゆくのかな。しきりに残念がるのを聞きながら、いっぽうの店主もつらいだろう、と当代店主の胸中を慮った。にぎわっていても、指の間から零れ落ちたものが悲しい。
かつて、飲み食いにまつわる作法や所作は、年長者から伝え送られていた。会社の上司や先輩に連れられて敷居をまたぐ料理屋や居酒屋で、注文の仕方、料理の選び方、会話の運び、支払いのタイミング、女将さんとのやりとり、領収書のもらい方……家庭や学校では教わらない機微のあれこれを、失敗したり恥をかきながら実地で学んだのである。ずいぶん前に亡くなった料理屋の主Kさんがつぶやいた言葉が、私はいまだに忘れられない。
「若いひとにそれとなく世間を教えるのは、床の間を背負う者の役目だったんですよ」
「床の間を背負う者」とは、床の間の前に座る主客のこと。会社の上役だったり、接待される側だったり、つまり彼らは胡座をかいてふんぞり返るのではなく、場の雰囲気をつくったり会話を回したりする役目も担っていたという意味だ。80代半ばのKさんは、「料理屋は日本の文化を伝える場所でもあったと思うんです」と言い、自嘲気味につぶやいた。
「でもねえ、その床の間もなくなっちゃいました。靴を脱いでわざわざ床の間のある部屋に上がるなんて面倒なんでしょう」
ましてや、年長者が若い者を食事や酒席に誘うだけで煙たがられる時代である。
ものごとの終わりは、いきなりやっては来ない。数ミリ、数センチずつ、目に見えにくい静かな進行の積み重ね。それだけに、終わりを迎えるときには容赦がない。