当然、反発も起きる。かくして、各地で、反市場原理主義のデモ、暴動が起き、余りの格差に、社会主義に魅かれる若者も増えた。さらに大量生産・大量消費の資本主義が、地球環境を破壊するとの声も高まっている。
こうした新自由主義の危うさを、田中は予見したようだ。シカゴ学派は、たしかに経済を活性化し、成長を生んだ。だが、各国は独自の歴史や文化、いくつもの種類の経済が息づいている。そこへ米国の生物、いや資本主義を押しつけていいのか。無用の抗争や混乱を生むだけではないか。
ここで、「棲み分け」を唱えた今西とハイエクの対談が、特別な意味を帯びる。
二人の対談が今を生きる私たちに残したことは……
「わたしはこうした今西理論の背後には、アジア独特の自然観、宗教観などに代表される東洋文明が色濃く反映していると思っている。学問領域の違いはあっても、今西さんのような東洋の学問と、西洋文明を極め尽くし、西洋合理主義の限界もよくご存知で、東洋文明にも比較的理解のあるハイエク教授なら、十分に対話は成立し、混迷する人類の危機を救うための端緒がつかめるのではないかと思ったのですが、そうはいかなかった」(「田中清玄自伝」)
実現に奔走した京都での対談は、残念ながら全く噛み合わなかったという。二人の話題は、東西文明論から市場経済へ広がったが、ハイエクは、最後まで今西理論を完全には理解できなかったようだ。だが、田中は、落胆していなかった。
「しかし、私はお二人の対話が噛み合わなかったことこそ、今日もっと検証されるべきではないかと思っているんです。なぜなら、東西両文明の相互理解と融合こそ、人類社会が直面している危機を乗り越えるために、今もなお最も緊急の課題だと思うからです」(同書)
田中が亡くなってから、今年で30年を迎える。その間、金融危機やコロナ禍を経て、世界各地で、行き過ぎた資本主義を見直す動きが出ている。
わが国もようやく、岸田政権が「新しい資本主義」の議論を始めた。これまでの新自由主義的な政策を改め、「成長と分配の好循環」を目指すという。だが、単に規制や税制をいじるだけでは、小手先の話だ。過去数十年、世界を席巻した新自由主義の功罪、それを乗り越え、一体、どんな日本と世界をめざすか。この根底からの問いに答えねばならない。
かつて田中が仕掛けた今西・ハイエク対談は、その一つの道標になるだろう。