そして、サッチャー政権の幹部は、積極的に国民にメッセージを発していく。
「戦後に取られてきた経済政策は、全て誤っていた」
「責任を負い、リスクを取り、金を儲ける人たちは、社会の役に立つ」
「英国には、大金持ちがもっと必要で、倒産ももっと必要である」
自己責任、市場原理、小さな政府……それまで耳にしなかった言葉が広まり、社会の秩序を変えた。まさに、「サッチャー革命」と言ってよかった。
また、1980年代、米国のロナルド・レーガン大統領も、規制緩和と市場を重視する政策「レーガノミクス」を打ち出す。やがて、これらは、「新自由主義」として各国へ連鎖していった。後の日本の小泉、安倍政権の改革も、その延長線上にある。
本来、これらを最も歓迎していいのは、田中だったはずだ。20年以上前から、ハイエクの正しさを信じ、不遇の時も寄り添い、経済的支援もした。それが、ノーベル賞を機に、やっと認められた。しかも、サッチャーやレーガンなど大物政治家が後押ししている。
ところが、そうした風潮に、一歩距離を置いて見ていたようだ。
田中が抱いていた“懸念”
戦後、右翼の黒幕として、血みどろの反共活動をした田中だが、その彼も、資本主義が完璧などと思ってなかった。ある思想を絶対と盲信すれば、いつか、必ずしっぺ返しを食らう。共産主義と同じだ。そして、行き過ぎた資本主義、歪な利益偏重、格差の拡大を激烈に批判したのだった。
前回触れたように、1973年の中東戦争と石油危機は、世界で猛烈なインフレを引き起こす。その際、日本の大企業は、続々と便乗値上げに走り、大きな社会問題になった。特にひどいのが石油会社で、田中は、経済誌にこう寄稿した。
「石油問題なども現地に行って調査すれば、日本に何万トン納入して、日本がどのくらい備蓄しているかといったことがわかるはず。それをせずに石油会社は売りびかえる。価格が上がる。上がった段階で、以前に安く購入した石油を売り出す。高いものを押しつけられ泣くのは国民だ。聞くところによると石油会社にはもうけすぎて臨時配当をするというところがあるらしいが、これが企業の社会的責任かね。