当時もアンチはいたけれど
——番組制作にはどれくらい参加されていたんですか?
山田 かなり参加してましたね。たとえば……今はCGがあるから簡単にできることだけど、6人くらいの違う私が同時に話してるとか、そういう凝った映像を企画して色々試してみたり。あと、お衣装も夢のある、リカちゃん人形みたいな世界を表現したり。そういうことは、『ひょうきん族』の頃からわりと言ってました。
絵描き歌なんかは自分で志願して「ピンポンパンのお姉さんをやらせてください」と。衣装さんに自分で言いに行って、サロペットを用意してもらって。その代わり、帽子は高橋商店街に行って自分で買ってきますって。言えば作ってくれたんでしょうけど、気合の入った自分のものでということで、買いに行きましたね。今も自宅にありますよ。
でも、みんなそうだった気がする。『ひょうきん族』ではさんちゃん(明石家さんま)も(ビート)たけしさんも自分で一生懸命ネタ台本を書いてたから、みんなそういうところがあったんじゃないですか。私は特に言ってたかもしれない。「これやりたいんですけど、あれやりたいんですけど」とか。
——では『やまだかつてないテレビ』はその集大成というか、山田邦子さんが当時やりたかった世界を再現できた。
山田 そうですね。スイカが大好きだったので、とにかくスイカモチーフで。衣装を自分で縫うこともあったなぁ。
——寝る時間なさそう……。
山田 寝てなかったですよね。たぶんお笑いの人はみんなそうだと思うけど、テンション上がっちゃうと「はい、終わりました。お疲れさまでした」といってもなかなか終われないんだよね。だから、みんなでワーワー飲みに行って、ヒートダウンしてから家に帰るとか。家にまっすぐ帰ったとしても、急に片付け始めたりとか。
眠れないんだよね。おかしくなっちゃってるの。だから、不健康ですよね。私、時間に余裕ができたなという時期にがんになりましたもん。仕事が落ち着いて、もれなく8年後に。
——ああ。
山田 やっぱりむしばまれていくんでしょうね。精神的にも肉体的にも。告知の時に「邦子さん、8年ぐらい前にできましたよ」って言われて、あああの頃とピッタリ合ってるな、みたいな。
でもおかげさまで共演者に恵まれたり、ファンの人に励ましてもらったり。もちろん当時もアンチもいました。アンチは目立つんだけど、褒めてくれる人ってあんまり目立たないんだよね。でも、本当はごまんといるの。それはもう気が付いちゃってるんで。
——『やまだかつてないテレビ』はお笑いだけじゃなくて、ヒット曲も生まれたし、スターも輩出しましたよね。